2008年11月22日 (土)

End Roll

○My Colleague

・テイラー(米国人、男性、25歳、社員):ボストン在住のおぼっちゃん。オヤジは某銀行の社長とか。ときどき顔を覗かせる自尊心が、“端正な顔立ち”と“ハスキーヴォイス”と見事に調和して香り立つような魅力を漂わせる。決めゼリフは「Exactly!!」

・ニーフ(アイルランド人、女性、31歳、社員):詳細本文参照

・ルーシー(米国人、女性、25歳、新入社員):チャーミングという言葉がぴったりくる娘!いつもリンゴをかじっているのでつけたあだなは“りんご”。厳密に言えばこの行為はセクハラらしい・・・。

・ブレンダン(米国人、男性、23歳、新入社員):フィラデルフィア出身の『フィリーズ命!』男。当初は勤務中のスーパーマン(マッチョです)のようにまじめを装っていたがフィリーズが優勝したあたりから壊れる。最後は雄牛のように猛り狂っていておもろかった。愛用ドリンクはやっぱり『Red Bull』(笑)。

・エミリー(米国人、女性、25歳、社員):よくいえばジュリア・ロバーツ、悪くいえばマコーレ・カルキン。すごいいい娘なんですが、割とまじめなで地雷がどこにあるのかわからないのが難点。ふざけていると、よく「Don't do that!」とたしなめられた。

・マギー(米国人、女性、22歳、新入社員):詳細本文参照

・ケイト(米国人、女性、22歳、新入社員):推定超お嬢。いつも高そうな洋服で着飾っている。頭が切れるのかそうでもないのか、いい奴なのか悪い奴なのか、とにかくとらえ所のない娘。ときどき発する『ゥワ~オォゥ!』は、ほんとに驚いているのか、そうでもないのか、それとも人を小ばかにしているのかやっぱりわからない・・・。

・テラ(米国人、女性、22歳、新入社員):優等生のテラはクラスの学級委員長。よく気がつくとてもいい子で、恵まれない(情報・言語プア)僕にいつもノートを見せてくれました。優等生を演じる自分に疲れるのか、授業中たまにぐれてふんぞり返るのがおもしろい。

・スー(米国人、男性、23歳、新入社員):日本人の英語を理解する心優しい黒人。なんでも大学時代はアメフトの選手として鳴らしたとか。基本穏やかなスーも“フィールド上”と“夜”にはディファレント・スーに変身(と自分で言っていた)し、ボールと女の子を追い回す。その姿はまさにハンター!!

・マックス(米国人、男性、26歳、社員):詳細本文参照

・ノーマン(米国人、男性、28歳、社員):詳細本文参照

・リンゼイ(米国人、女性、23歳、社員):ボストンとレッドソックスを愛する戦士。酔っ払った時に見せる目の据わった表情はただもんじゃない!でもまじめな優等生で学級委員の座をテラと争っている(ように見える)。

・ケイトリン(米国人、女性、25歳、社員):ボストンの人事部に所属するブロンド美女?写真写りは女優級!いかにもなアメリカンで我々の英語を全く解しない。日本人の中でつけたあだなは“ライオン”。

・スザンナ(米国人、女性、22歳、新入社員):姉が東京在住。当初は美貌女スパイとして警戒したが、意外にいい奴だった。最後に見せた涙で評価が急騰。今年度の主演女優賞。

・ベン(米国人、男性、25歳、社員):ビッグ・ベン!でかい。アメリカの良心!びっくりする位寡黙であるが、話しかけたときに見せる微笑は絶対の安心感。彼は日本に来ればきっとバリューが上がるとおもうよ~。肉食獣の社会でうまくやっていけるのか少々心配。

・ヤグー(サウジアラビア人、男性、サウジ中央銀行):詳細本文参照

・オリバー(スイス人、男性、25歳、無職):これから職を探すらしいがサブプラの煽りをうけて難航が予想される。がんばれ!すでにして見事にはげているが、写真を写してびっくり!オリバーがかっこよく見える。白人はほんとに下地がかっこいいな~。

・エティエン(ベネズエラ人、男性、22歳、無職):詳細本文参照

・ロベルト(パナマ人、男性、25歳、ウォールストリート証券?):“100の名前を持つ男”。彼の国では先祖の名前を全部継承するらしい。自らを“King of Panama”と呼ぶが本当に金持ちなんだろうな。授業を抜け出して、携帯片手にスペイン語でまくし立てる姿はまるで麻薬のブローカー。

・トモさん(日本人、男性、34歳):詳細本文参照

・ミッチさん(日本人、男性、32歳):詳細本文参照

○Human Resource Department & Mentor 

・リチャード

・アマンダ

・キーア

・シャノン

・デービッド

2008年11月16日 (日)

再出発!

秋山真之(1868~1918)。旧帝国海軍中将。日露戦争時には連合艦隊作戦参謀として活躍。特に戦争の趨勢を決定付けた『日本海海戦』の勝利は彼の作戦に拠るところが大きかったとされている。彼は30歳のときにアメリカへ留学。昼夜図書館に篭り兵術の理論研究に明け暮れた一方、『米西戦争』に立会い、時の大戦略家マハンに師事する等様々な刺激を受けて帰国した。上記海戦の際に採用した戦法は、この時持ち帰った世界最先端の情報と日本古来(村上水軍)の海戦術を取り込んだものといわれている(異論もあるようですが…)。

このブログのタイトル『晴朗なれども波高し』は、真之が日本海海戦時、出撃に際し大本営へ打電した『本日天気晴朗ナレドモ浪高シ』より拝借したものです。

明治期の小国日本にとって、西欧列強は遠い雲のような存在であると同時に、これらと伍していけなければすなわち国家が消滅してしまう、という悲劇的な状況にありました。当時の若者は自らの人生と国家の運命を同一視し、まさに“国家を背負って立つ”気概を持って職務にあたり、あるものは海を渡りました。秋山真之もそんな若者の一人としてアメリカへ渡ったわけです。当時とは時代も違えば、背負った重荷も、まして彼と私では持って生まれた能力等比べるべくもありませんが、同じ年齢で同じアメリカへ渡った者同士、せめて彼の気概(彼がアメリカへ向かったときの気持ち、日本海海戦に臨むときの気持ち)だけでもあやかりたいものだと思いこのタイトルにしました。ブログを書き始めたのは、私が渡航してからちょうど1ヶ月たった頃でした。“日々苦闘をしつつも、元気で楽しくやっています”というメッセージも一緒にこめたつもりです。

留学の話をもらったのは、ちょうど昨年のサブプライム問題に端を発する金融危機がいよいよ大きくなろうとしている時でした。まさに問題の震源地で何が起きているのか?次の変化の予兆が何か見つけられるのではないか?という期待を持ってアメリカへ行きました。「神は細部に宿る(God is in the details)」という言葉を私は信じているのですが、それこそTV、新聞はもちろん、道行く人から、食べ物、娯楽、はたまた葉っぱの色にまで何か大きなものにつながる材料があるのではないかと五感を研ぎ澄ませ、思考し、言葉にしてきたつもりです。フィルターをかけてしまうと何にもならないと思ったので、感じたことをできるだけぶつ切りのまま綴るよう努力してきました。おかげで弱音を吐いたり、見苦しいところもお見せしましたが、これらは嘘偽りのない自分ですので隠しても仕方ないものですから…。

先日のブログにも書きましたがこの4ヶ月本当に色々なことがありました。100年に一回の金融クライシスと史上初の黒人大統領誕生なんてそうそうお目にかかれるものではありません。アメリカ一国支配体制がいよいよ崩壊するのか、はたまた持ちこたえるのかはわかりませんが、いずれにせよ歴史的大転換点に我々は立っていることに変わりないと思います。大きな変化が訪れる時、それは危険が高まっていることを意味しますが、同時にビックゲインのチャンスが到来していることも確かです。歴史を紐解けば恐竜が滅び我々人間が生まれたのも、古代数々の王朝が誕生したのも、そして日本が二度の躍進(明治維新後、高度経済成長)を遂げたのもみんなきっかけはクライシス(危機)です。そういった意味では悲観的になるばかりでなく、次の変化を見つけること、そしてそれを見つけたならば思い切って行動することが大事だと思います。今回見て、感じて、考えてきたことが何の役に立つのかはわかりませんが、それを活かすも殺すも自分次第。アメリカへ渡った日の瑞々しい気持ちを忘れることなく、これからも日々進んでいけたらと考えています。

ですから今現在の心境はやっぱり、

『本日晴朗なれども波高し』。

3ヶ月間おつきあいくださいました皆様ありがとうございました。今後も日本で一緒にお酒を飲んだり、遊んだりしてくださいな。

2008年11月14日 (金)

帰国②(種)

心配だった荷物重量制限も無事にパスし、あっという間に帰国手続きが済みました。撤収作業が大変だったので少し拍子抜け。出発までまだ時間があったのでラウンジへ行き久方ぶりにのんびりしました。NYのラウンジはリゾート風に噴水やビーチパラソル、デッキチェアがあって素敵です。いすに横になって、噴水をぼ~っと眺めて。NY生活を振り返ろうと思うのですがオシム(タクシーのおじさん)の言葉が頭からはなれません。

私は常々、昨今の資源争奪戦を見ていると100年前の帝国列強による植民地(いわば資源ですから)争奪戦が復活したかのような感覚にとらわれることがあります。そして、その後に続いた大恐慌とナショナリズムの台頭、戦争…。なんとなくシンクロする部分多いと思いませんか?結局、植民地争奪戦に勝利した連合国側はその後の大恐慌を乗り切った一方、持たざる国は右傾化していったわけです。日本は今も昔も変わらず持たざる国のまま…。我々から見れば立派な資源大国のアメリカのいちタクシードライバーですら資源戦争に危機感を覚えている。いわんや何とか~ですよね?

今は飛行機に乗って、余りある14時間(すごくありがたい!こういう時間ほんとなかったですから。) を活用して文章を書いています。4ヶ月前の7月9日、この大地に降り立ったときの日差しの強さ、空気のにおい、街の喧騒、どれも強烈に心に残っています。あれからもう4ヶ月&たった4ヶ月。ほんと色々なことがありました。金融クライシスと大統領選&初の黒人大統領誕生!これだけでもアメリカに来た甲斐があったというものです。喜び、苦しみ色々ありました。きっと、飛行機に乗り込む時もっと確かな手ごたえみたいなものが残っているんだろうなと期待していたんですけれど、全然ありませんでした。むしろ最後“オシム”のせいで悩みがまた増えました(笑)。これも何かの運命かな?きっとここはゴールではなく、スタートなんだということでしょう。そういう意味では、良くも悪くもいろんな種は集めてきたかな、とは思います。それに花が咲くのか?徒花なのか?はたまた芽もでない種なのか?それは今後の自分次第ということでしょう。

帰って一晩寝て落ち着いたら、最後のまとめでも書こうかな。

帰国①(臥竜?鳳雛?それともただのドライバー?)

11/13(木)

帰国当日

6時起床、シャワーを浴びて最後の片付け。珍しく出発15分前に全ての準備が整いました。最後に屋上に上り、フランク・シナトラの『NEW YORK  NEW YORK』を聞きながらエンパイア・ステートビルを眺めます。この曲はヤンキースタジアムでゲーム終了後にいつも流れる曲で、私にとってはNYに対する憧れそのもの。“このちっぽけで最高に刺激的な街で寝起きし、勝負したいんだ”歌詞がすっと心に沁みこみます。そして最後に“この街をどう活かすのかは君次第!”今まで気付かなかったけどそんなこといってたんだ。この歌のとおり、ほんとそうだな。自分はこの街で何を見て、何を感じ、そして何かできたことはあるんだろうか?いつの日か勝負できる時が来るんだろうか?そんなことを考えていると曲が終わり、次の曲が始まったので、最後にエンパイアに一礼してその場を去りました。

8時マンションを出発。今日はオバマがNYに来るとかでひどい渋滞です。ガードマンに知り合いのタクシー運転手を呼んでもらい、8時半、ようやくタクシーに乗り込みました。私は最後の別れをマンハッタンにしようと車窓にかじりついているのですが、タクシーの運転手はうっとうしく次々と話かけてきます。そのうち、オバマが来る話から「オバマが好きか?」という質問になりました。まあ時節柄というのもあるし、貧困層に支持されている(当然タクシードライバー込みと思った)オバマなので、このおじさんもきっとオバマ好きなんだろうと思い、「まあ日本にとってはいいことないけど、景気もこんなだしオバマでいんじゃない!?」といいかげんな返事をした瞬間、鋭い切り返しが返って来ました。「お前はヒロシマ、ナガサキを忘れたのか?」。「は?」オバマと原爆になんの関係が??続けざまに「ロシアに気をつけろ!」。このドライバーおもしれ~!このおじさんただもんじゃない!?既に私の頭からマンハッタンは吹っ飛び、ここから即席政治討論会へ。

おじさんの主張は以下のとおり。アメリカは産業の根幹である製造業をないがしろにし、金融システムを中心とした小手先の金儲け主義に走ってきた。つまり実質的裏づけ価値のないドルを大量にばら撒いて世界中の富を買い集めてきた。しかし、昨今の金融クライシスにおいて錬金術が実はただのめっきであることがばれてしまい、もはや誰もアメリカを相手にしていない。熱狂からさめたアメリカにはもはや売るものは何もなく国力の衰退は免れまい。一方で、ロシアを見てみると大量の原油を背景にいよいよ国力が充実してきている。その膨張政策は政治面にも現れていて、既にイタリアのトップとはかなり深い話し合いにまで発展しているし、我々のお膝元ベネズエラ(アメリカの原油輸入量はサウジに続いて2位らしい)にまで食指を伸ばしている。その外にも旧ソビエト連邦には貧しい国が数多く存在しており、これらの国々と再接近を図っている(グルジアもその一端?)。プーチンは実に狡猾だ…。

こんな時流の中、アメリカ国民はあまりにも鈍感すぎる。上記のように集金システムが崩壊し、今度は生命線である資源が奪われつつある(ベネズエラだけでなく、サウジとの関係も磐石でなくなってきているとのこと)にもかかわらず、内部の憂いにばかり目がいっていてもっとも重要なことに目が向いていない。イタリアとロシアの会談の話も欧州では新聞一面で取り上げられたような内容だったにもかかわらず、アメリカ国内の新聞にはただの一行も出ていないことがそれを物語る。当然、(アメリカ)独自路線を主張する民主党に政権が移った後のことは言うに及ばず!従って、『オバマを当選させるべきでなかった』。

おっしゃるとおり!原油価格下落後の産油国の状況がどうなるのかはよくわからないけど、大局的(オバマの是非は別として)にはそのとおりだと思います。確かに最近のアメリカは国内の救済にばかり目が向きすぎているきらいがあります。7月に来た時にはもう少し国際政治について取り上げていたような気がしますが、金融クライシス、大統領選と立て続けにこなしているうちにマスコミも世論もどんどん視野が狭くなっています。国内の問題が大きいので仕方ないと思いますが、今まで“世界の警察”アメリカの監視のもと動きを拘束されていた勢力にとっては千載一遇のチャンスでしょう。私自身、これらのことは漠然と感じてはいたものの今の今まではっきりと意識していなかったので、おじさんの言葉にははっとさせられました。

このおじさんはいったい何者?かというと、もともとはユーゴスラビアの人で軍事大学(防衛大学みたいなもの?もしかしたら旧陸海軍士官学校のように国のエリートなのかも)を卒業後、某所でエコノミストをやっていたとのこと。90年代の紛争に巻き込まれ、奥さんはそのとき、自身は4年前にアメリカにわたってきたようです。それならば合点がいきます。年齢(既に60歳位)の問題などもあり現時点でタクシードライバーに甘んじていることも、普通のアメリカ人が持ち得ないような国際感覚を持っていることも(少なくともうちのクラスにはパワーバランスの観点から大統領選を論じている子は一人もいませんでした)。割と日本のことは好意的に見てくれているようだったので、お返しに「ストイコヴィッチは最高だ!今も日本のクラブチームで監督やってるよ」というと、初めてにこっと笑って「俺も彼は大好きだ!日本のサッカーもWカップで見ていてとても印象に残っている」と言ってくれました。アメリカの地で、それぞれ違う国を愛するもの同士が心を通わせる、そんなことが普通にできるのもまたアメリカの魅力なんだろうな。

ユーゴのサッカーか…。そういや心なしかオシムに似てたかも。説教くさいところとか。

2008年11月12日 (水)

前夜

11/12(水)

今日はどうしても行かなければならないところがあります。

実はまだ“自由の女神”行ってなかったんです。僕は寿司ネタは一番好きなものは最初に食べて2番目に好きなものは最後に食べる主義なんですが、体調不良からあやうく女神を食べ損ねるところでした。

11時頃家を出て、マンハッタンで一番パンケーキがうまいといわれる『CLINTON St. BAKING』で食事をしました。それから島の南端にあるエリス島行きのフェリー乗り場へ。冬ということもあるのかほとんど待つことなく14時の船に乗れました。出発すること10分、いよいよ女神が近づいてきます。近くで見ると意外に逞しいな~。この女神目指して、何千万という人が祖国を捨てアメリカにやってきたんですよね!?ある人は新天地での成功を夢見て、ある人は祖国から追われて…。物語は移民の数だけあるに違いありません。でも、誰もが船上から自由の女神を見上げて胸に帰するものがあったはずで、その一人一人の思いの全てを女神は変わることなく見守り続けてきたんだなと思うと感慨深いものがありました。最後の最後に見ることが出来て本当によかった。

その後、5番街で買い物をし、ブロードウェイミュージカル鑑賞。今日は100点満天の観光旅行者として最後の一日を楽しみました。最後に見たミュージカルは『Jersey Boys』。往年の人気バンド『Four Seasons』の成功と挫折を名曲にあわせて綴るストーリー。ずっと見たかったのですが人気が高くて今日の今日まで見られませんでした。四人の息の合った歌声とステップに乗せられて大盛り上がり。客層も当時を知る熟年というよりは老人カップルが多く、彼らがみんな若かりしころの気持ちに戻って盛り上がっている様はとてもほほえましいものでした。

帰り道は何度も通った道を楽しみながらのんびり帰りました。ブロードウェイを南下して42stで左折。グランドセントラルステーションの前を通って最後は3AVを右に曲がって、再び南下します。明日陽が昇ると、この道は大量の車とオフィスへ急ぐ人々で溢れかえります。マンホールから立ち昇る蒸気が朝日に照らされてとても幻想的。エンジン音と間断なく続くクラクションの音がビルの谷間に木霊し、マンハッタンの目覚めを知らせます。道端では果物屋が店を広げ、トラックから荷物を降ろす人、ホースで水を撒く人、みなそれぞれの一日が始まります。そんないつもの光景の中に私はもういません。頭では理解していても、まったく実感が沸きません。自分はまたここに戻って来たいのかな?そもそも帰ってこれるのかな?それはいつかな?そんなことを自問しながら最後の一歩一歩を踏み締めて歩きました。

2008年11月10日 (月)

失速

11/10()

530起床。またもや喉いたし…。

今日は朝一、従兄弟夫婦が出社するのに合わせて車に乗ってボストン市内で下ろしてもらう予定。寝ぼけ眼のまま“私の”セカンドハウスにお別れを告げる。

『また来るからな!』

と、いうそばから「そういっていて誰も戻ってこないんだよね!」と従兄弟のきつい一言。なにも言い返せない…。

730、MIT(マサチューセッツ工科大学)でおろして貰い、学生食堂でのんびり食事を取ります。ここが天才数学者君達の巣窟か~。と感慨に浸るも、やっぱり体調がいまひとつのためかあまり感情移入できない。大量の荷物を背負い、右手はカメラでふさがったまま。かつ寒さに耐えながら知らない街を放浪するのは体力がいるようです。その後、フェンウェイパークのツアーに参加し作り笑顔で記念撮影、続いてプルデンシャルタワーのトップからレンガ色の町並みに感嘆の声をあげたころには既に私のバッテリーランプは赤信号へ変わっていました。

そのまま何をするでもなく窓ぎわに座り込みボーっとすること1時間、

「こりゃだめだ。熱がある。家(NY)に帰ろう」とようやく決断。

それでもこの後に及んで、最後にクラムチャウダーが食べられないものかどうか悩み続けた末の決断でした。食べ物に関して俺はつくづく欲深い…。

1930自宅到着。倒れこむように布団にもぐりこむ。ラスト500mどころか、ゴールまであと2歩のところで失速するとは情けない…。残念、無念。

2008年11月 9日 (日)

Priceless

11/9()

朝起きるとなんだか喉が痛い。久しぶりにゆっくり寝たのに布団から出られない。起こしに来た従兄弟の旦那に寝ぼけて「ごめんなさい!ごめんなさい!今起きるところです。」と日本語で平謝り(彼は日本語わかりません)

さて、この日は従兄弟ファミリー企画のボストン観光デーです!朝一、車で20分のところにあるセーラムという街へ向かいます。この街は昔魔女裁判が行われ、多くの命が失われたことで知られています。今では街をあげて魔女をPRしており、占いの店なども点在しています。特にハロウィーンの時には大勢の観光客が訪れ、高速道路から渋滞するほどだと聞きます。実際に訪れてみると魔女の話を抜きにしても、中世の面影を残した港町という感じで歩いていてとても気持ちよかったです。ふらっと立ち寄ったHAREY-DAVIDSONでハーレイのコスチュームをまとった小悪魔風魔女Tシャツを記念に購入!

次なる目的地はJFK記念館。しばしばオバマとケネディが比較されているのを目にしますが、オバマ勝利の影響もあるのか?ないのか?結構な人の入りに驚きました。館内を回ってみて当時の肉声に触れてみるとやはりカリスマ性ありますね。かっこいいですもん。そしてどの政策もアメリカ国民のつぼをうまく捕らえていて、とてもわかりやすいです。やっぱり政策はわかりやすいのが一番!だと僕は思います。“美しい国”っていわれてもな~。散る桜だって美しいですし…。すいません、古いですね。

日没15分前、ハーヴァード大学へ到着!この大学はなんと1636年設立でアメリカ最古。マサチューセッツ建国から7年後にはすでに設立されていたようです。「うちの大学(私の母校)125周年でとても歴史があるんだ」と自慢したら、従兄弟に「たったそれだけか?」とばかにされました。国の歴史は圧勝でも、大学の歴史では全く歯が立たないギャップが少しおもしろかったです。この大学は町全体がキャンパスのようになっていて、いたるところに学生向けの店舗が軒を連ねています。驚いたことに、学生街だというのに安っぽさが全くないんです(私の母校周辺とは大違い)。かなり学費も高いと聞きますし、きっとすごい金持ちのおぼっちゃん達が築き上げた伝統なんでしょう。確かに道行く若者の格好も、少なくともNYのおばかちゃん達とは比べるべくもないな~(おしゃれってわけではないですけど)

今日のディナーは私のたっての願いを聞き入れていただき、昨日に続いてロブスター!!今回でボストンを訪れたのは4回目ですが、毎回どころか毎日のようにロブスターちゃんをいただきました!しかもうれしいことにリセッション(不況)の功罪か、ロブスター価格が暴落しているらしいです。知らなかった、ロブスターはコモディティ(作物価格)と連動するのか!?なんでもお金持ちがロブスターを食べられなくなったらしいですよ。おもしろいな~。今だけはリセッションに軽く感謝。

そして、誕生日ケーキのプレゼントに今度は感激。いかん、親戚だとガードがゆるくなるのかほんとに泣けてきた…。この4ヶ月、これだけ充実した時間を送れたのは間違いなく彼らのおかげです。ボストン、ニューヨーク、ナイアガラ、クーパーズタウン(野球の殿堂)色々なところを共に旅しました。オールスターやワールドシリーズのチケットを取ろうと奔走してくれました。そして何より、アメリカのライフスタイルというものを身をもって体験させてくれました。お金で買えないものを本当にたくさんもらいました。ありがとう!いつか従兄弟会をハワイでやるという夢(ゴルフとビーチと“ホノルルマラソン”)実現させましょう!

2008年11月 8日 (土)

レキシントン・コンコード

11/8() 

5時起床、ボストンへ向かいます。朝一のバスを予約したため出発まであまり時間がありません。一通り準備して、お土産を持ってタクシーに乗り込みます。ぎりぎりで停留所に到着し、慌てて車を降りた瞬間、

『ガッシャーン!!』ひい~()カメラ落とした!!俺の戦友が~!?

とりあえず回収し、戦友の亡骸を抱えるようにバスまでダッシュ!

席に座って無事を確認しようとしますがフタがレンズにめり込んで開きません。なんか中でシャリシャリ音がするし…。やな予感はするが無理にこじ開けて傷を広げるのも嫌だし。

心臓外科医並みの集中力で気をつけな~がら苦闘(最初っから気をつけてれば落とさないのに…)すること2時間、ようやくフタの除去に成功。中を覗き込むと、バラバラとガラスの破片が出てきます。「たのむ!レンズカバーだけですんでくれ」という願いとともに、どきどきしながら一枚一枚ガラスをはがすと下から無傷のレンズが出てきました。よかったぁ~。たぶん大丈夫だ。

1100ボストン到着。従兄弟の車に乗りこみレキシントンへ向かいます。今日は、去年従兄弟の結婚式に出席するため日本にまで来てくれた“ボストンのおばあちゃん”(僕の中ではもうボストンのおばあちゃんです)の家で昼食をご馳走になる予定です。レキシントンはご存知の方も多いと思いますが、アメリカの独立戦争の火蓋が切って落とされたまさにその場所。世界史的には☆三つ(最重要)です!今ではボストン郊外の高級住宅街として知られており、林の中にゆったりとした造りの邸宅が続く町並みはとても美しい。既に紅葉のピークが過ぎていたため、雪でも降ったかのように落ち葉が積もっていてそれはそれで素敵でした。

昼食会はおばあちゃんの娘ファミリー(以前従兄弟の家で一緒に夕食をしたファミリー)も集まってくれてミニパーティ。食事はポテトをこして作ったスープとラップ(メキシコ料理?肉や野菜をクレープのような生地で包んだもの)。話題の中心はやはり4日前に行われた大統領選についてでした。ファミリー揃ってオバマ支持だったのでみんなハッピー!よかったよかった。カメラも好調に動いてくれるし僕もハッピー!

少ししてからおばあちゃんの車に乗せられて、半日史跡めぐりツアーに出ました。レキシントンとコンコードの町は保護区となっていて昔の様子が変わりなく残っています。1775年イギリス軍の進軍に対し、ワンミニッツと呼ばれる民兵(屯田兵みたいなもの?)が抵抗したことから戦闘が始まりました。一時は隣町のコンコードまで押し込まれたアメリカ軍ですが、続々と集結するワンミニッツの加勢により形成逆転、最後はボストンまで押し返したというもの。「当時はあの家とあの教会とあの飲み屋しかなくてこの道の向こうから400のイギリス軍が進軍し、ここで迎え撃ったのよ・・・」おばあちゃん!!プロですか??

っていう位のマニアック講座に大感激。おばあちゃん齢70歳なのに、ワゴン型のレクサス乗り回してるし、本物のレンジャーのようにかっこいいわ!!すっかり心酔。最後は「また来るよ!」と約束して別れました。

2008年11月 7日 (金)

祭りのあと

11/7(金)

昨日のフィナーレから精神崩壊。

朝起きて、ブログを書いて、さて何しよう・・・。

ああ、そうだ撤収準備をしなければ、とクロネコヤマトに電話をする。すべてに力が抜けている。とりあえず、会社に荷物を取りに行かなければ・・・。

なんとなく冴えない頭のまま会社へ向かい、教室の扉を開くとそこは人気のないひんやりとした空気。ああ、もうみんな戻ることがないんだと改めて認識する。

こんどは自習室へ向かうと、扉から光が漏れている。あれ?誰かいるのか?と少しどきどきしながら扉を開くと、

中にいたミッチさんと目が合った。なんだ・・・。ミッチさんか。

ミッチさんもさびしいのか机に置手紙をしている。夜はミッチさん、トモさんと『最後の晩餐』の予定だったので、そこで一旦別れる。

週末はボストンへ行く予定のため御土産を買って、20時ころステーキハウス『Benjamin』で二人と落ち合った。この4ヶ月乗り切れたのは間違いなく2人のおかげでした。英語力、金融知識ともに私よりも優れていて、なにかと助けてもらいました。この研修で色々な国の人達との人脈を得たことは大きな財産ですが、それ以上に2人と知り合えたことは今後の私の人生に大きなプラスとなることでしょう。二人共、某国内金融機関に勤める運用担当者として相当のきれものですが、それ以上に人格的魅力も備えた非常にバランス感覚あふれる人物です。これぞ日本のエリートなんだろうな~。今後も互いに切磋琢磨しながら成長していけたらと思います。

人物ファイル⑨ トモさん(34歳、奥さんと子供一人。)

日本人チームのリーダー。ユーモアあふれる性格からクラスの人気者。特に酔っ払った時、ほとんど英語をしゃべることなくみんなの心を掌握し、扇動していく様は見事(客観的に見ていると少し滑稽でとてもおもしろい)。肩こりもちで、毎日のように肩たたきっこしてました。

人物ファイル⑩ ミッチさん(32歳、奥さんがいます)

某国立大の数学科を卒業。数字とコンピューターの鬼(尊敬~。僕は両方大嫌い)。『勉強する時、暗記はしたことがない』と豪語。冷静かつ高速コンピューター(脳)を人懐こい笑顔のオブラートでくるんだスーパー金融マン。“心にもない”笑顔をそこ、かしこで振りまくためスタバの店員の黒人おばちゃんから、電車で隣り合わせた黒人おじちゃんにまで大人気!人は彼を『黒人(に大人気)のブラピ(ブラッ“ク”・ピット)と呼ぶ』。

22:00、レストランでの食事を終え、うちで飲みなおしました。ミッチさんは日曜に、トモさんは3週間、実務の研修をしてから帰国するとのこと。まずは12月に打ち上げ会で再会することを約束して3:00頃わかれました。

みなさん、本当に本当にお世話になりました!!これからもよろしくお願いします。

2008年11月 6日 (木)

Graduation

11/6(木)

13:00オフィスに到着。あいにくの小雨と比較的暖かな南風。4ヶ月前、プログラム初日もちょうどこんな空模様で、僕のテンパが僕を苦しめたな~と思い出しながら歩いていました。あの日、大いなる期待と不安を抱えながら訪れたこのビルも今では自分の家のように親しみを覚えます。最初のミーティング、クラスメートのみんなが実年齢よりもずっと大人びて、そして心の見えないマネキンのように見えたものです。今では違って見える色々な景色も今日をもって全て見納めです。

パッキングを終え、のんびりしているとまもなくセレモニーが始まりました。一人一人名前を呼ばれ卒業証書と集合写真の入った額縁、カレンダーをもらいます。クラスメート22人の名前すべてが血の通った、とても愛おしいものとして心に響きます。カレンダーの写真を見ているとこの4ヶ月本当に色々な時間をともにすごしてきたんだな~と実感しました。それともうひとつ気づいたことは、どの写真にもセンターで半身でポーズをとり上目遣いで100点満点のスマイルを見せているスザンナ(笑)。額縁に入っている螺旋階段でとった集合写真なんてまるでドラマの製作発表ですよ。こういうのは天性のものなんだな~とすこし感心してしまいました。クラスの主演女優賞は満場一致でスザンナに決定!

18:30オフィスより少し北、トライベッカにあるブラジル料理レストランでお別れパーティです。ここでうれしいことがありました。クラスの担任的存在であるアマンダが乾杯の音頭をとったのですが、「乾杯することが二つ。ひとつめはヒロ(私です)が今日誕生日で30歳になりました!おめでとう!!もうひとつはみんな今日でプログラム卒業です!みんな本当にすばらしい成績でがんばった!トースト(乾杯)!!」と祝福してくれたことです。実はこの日は私の30歳の誕生日でもあったんです。こんなことあっていいのかな。卒業式で一番に祝福してくれるなんて本当に本当に僕は幸せ者です。今日は“プログラム”と一緒に“20代”を卒業したメモリアルデーとなりました。間違いなく人生のハイライトのひとつとして生涯忘れることはないでしょう(涙)。

さて、一次会が終わり今度はタクシーに乗ってずいぶん北の77thにあるバーに移動します。この頃になるとみんな酔っ払ってきて色々本音が出てきます。タクシーの中ではなかなか厳しい悪口大会。「あのできの悪い出しゃばりが、人事であそこの部署に行くなんてどうしても我慢できない。」等々。現実世界はドラマのように甘美なものではないようです。みんな表面では素敵な笑顔で暖かい日常生活を演じていてはいても、心では色々複雑なようです。もちろんそういった面というのはできれば目を背けたい事実ではありますが、アメリカを理解するには避けては通れないものでしょう。そういった意味では最初マネキンのように見えたクラスメートがとても暖かく親しみの持てるものと感じるようになったことが『最初の成長』だとしたら、その暖かさも一様なものではなく裏表があり複雑な人間模様の中で成り立っていることを実感できるようになったということは僕自身、『次のステップ』に進めたということなんだろうなと感じます。やっぱり自分をアピールしてなんぼの世界ですから、みんな色々なところでこびを売ろうとするし、ライバルからすればそういう行為は面白くないわけで、嫉みの対象となります。『出る杭は打たれる』ということわざは何も日本に限ったことではないんですね。日本人からするとみんながみんな理想の世界、理想の自分を演じているように見えますし、その裏で激しい駆け引きをしながら生きていくというのはどれだけ大変なことだろう?そして、本当の味方と敵はどうやって見分けるのか?、ひょっとしてみんな孤独の中でたくましく生きているんだろうか?疑問が次から次に溢れてきますが、残念ながら今はその答えを持ちえません。

バーはすごい人ごみで、みんなビール瓶片手に踊ったり、話こんだり。さっきまで散々悪口をいっていた奴らも、もうその相手と楽しそうに踊って、抱き合っています。本当にたくましい・・・。でもそんないい面悪い面含めて彼らはとても魅力的だし、僕はかれらが大好きです。彼らとの時間もこの店から出た瞬間二度と帰ることがないんだと考えると悲しくて仕方ありませんでした。夜が更けるにつれ、一人、また一人と帰っていきます。そのたびに抱き合って、再会を約束してお別れをしました。別れ際に見せたルーシーやスザンナの涙を見ていると胸がつぶれる思いがし、できることならばずっとニューヨークに留まっていたいものだと願わずにはいられませんでした。

これは、私がカードに書いてみんなに贈った言葉です。

『最高に楽しい、幸せな4ヶ月をありがとう!』

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