日記・コラム・つぶやき

2008年11月22日 (土)

End Roll

○My Colleague

・テイラー(米国人、男性、25歳、社員):ボストン在住のおぼっちゃん。オヤジは某銀行の社長とか。ときどき顔を覗かせる自尊心が、“端正な顔立ち”と“ハスキーヴォイス”と見事に調和して香り立つような魅力を漂わせる。決めゼリフは「Exactly!!」

・ニーフ(アイルランド人、女性、31歳、社員):詳細本文参照

・ルーシー(米国人、女性、25歳、新入社員):チャーミングという言葉がぴったりくる娘!いつもリンゴをかじっているのでつけたあだなは“りんご”。厳密に言えばこの行為はセクハラらしい・・・。

・ブレンダン(米国人、男性、23歳、新入社員):フィラデルフィア出身の『フィリーズ命!』男。当初は勤務中のスーパーマン(マッチョです)のようにまじめを装っていたがフィリーズが優勝したあたりから壊れる。最後は雄牛のように猛り狂っていておもろかった。愛用ドリンクはやっぱり『Red Bull』(笑)。

・エミリー(米国人、女性、25歳、社員):よくいえばジュリア・ロバーツ、悪くいえばマコーレ・カルキン。すごいいい娘なんですが、割とまじめなで地雷がどこにあるのかわからないのが難点。ふざけていると、よく「Don't do that!」とたしなめられた。

・マギー(米国人、女性、22歳、新入社員):詳細本文参照

・ケイト(米国人、女性、22歳、新入社員):推定超お嬢。いつも高そうな洋服で着飾っている。頭が切れるのかそうでもないのか、いい奴なのか悪い奴なのか、とにかくとらえ所のない娘。ときどき発する『ゥワ~オォゥ!』は、ほんとに驚いているのか、そうでもないのか、それとも人を小ばかにしているのかやっぱりわからない・・・。

・テラ(米国人、女性、22歳、新入社員):優等生のテラはクラスの学級委員長。よく気がつくとてもいい子で、恵まれない(情報・言語プア)僕にいつもノートを見せてくれました。優等生を演じる自分に疲れるのか、授業中たまにぐれてふんぞり返るのがおもしろい。

・スー(米国人、男性、23歳、新入社員):日本人の英語を理解する心優しい黒人。なんでも大学時代はアメフトの選手として鳴らしたとか。基本穏やかなスーも“フィールド上”と“夜”にはディファレント・スーに変身(と自分で言っていた)し、ボールと女の子を追い回す。その姿はまさにハンター!!

・マックス(米国人、男性、26歳、社員):詳細本文参照

・ノーマン(米国人、男性、28歳、社員):詳細本文参照

・リンゼイ(米国人、女性、23歳、社員):ボストンとレッドソックスを愛する戦士。酔っ払った時に見せる目の据わった表情はただもんじゃない!でもまじめな優等生で学級委員の座をテラと争っている(ように見える)。

・ケイトリン(米国人、女性、25歳、社員):ボストンの人事部に所属するブロンド美女?写真写りは女優級!いかにもなアメリカンで我々の英語を全く解しない。日本人の中でつけたあだなは“ライオン”。

・スザンナ(米国人、女性、22歳、新入社員):姉が東京在住。当初は美貌女スパイとして警戒したが、意外にいい奴だった。最後に見せた涙で評価が急騰。今年度の主演女優賞。

・ベン(米国人、男性、25歳、社員):ビッグ・ベン!でかい。アメリカの良心!びっくりする位寡黙であるが、話しかけたときに見せる微笑は絶対の安心感。彼は日本に来ればきっとバリューが上がるとおもうよ~。肉食獣の社会でうまくやっていけるのか少々心配。

・ヤグー(サウジアラビア人、男性、サウジ中央銀行):詳細本文参照

・オリバー(スイス人、男性、25歳、無職):これから職を探すらしいがサブプラの煽りをうけて難航が予想される。がんばれ!すでにして見事にはげているが、写真を写してびっくり!オリバーがかっこよく見える。白人はほんとに下地がかっこいいな~。

・エティエン(ベネズエラ人、男性、22歳、無職):詳細本文参照

・ロベルト(パナマ人、男性、25歳、ウォールストリート証券?):“100の名前を持つ男”。彼の国では先祖の名前を全部継承するらしい。自らを“King of Panama”と呼ぶが本当に金持ちなんだろうな。授業を抜け出して、携帯片手にスペイン語でまくし立てる姿はまるで麻薬のブローカー。

・トモさん(日本人、男性、34歳):詳細本文参照

・ミッチさん(日本人、男性、32歳):詳細本文参照

○Human Resource Department & Mentor 

・リチャード

・アマンダ

・キーア

・シャノン

・デービッド

2008年11月16日 (日)

再出発!

秋山真之(1868~1918)。旧帝国海軍中将。日露戦争時には連合艦隊作戦参謀として活躍。特に戦争の趨勢を決定付けた『日本海海戦』の勝利は彼の作戦に拠るところが大きかったとされている。彼は30歳のときにアメリカへ留学。昼夜図書館に篭り兵術の理論研究に明け暮れた一方、『米西戦争』に立会い、時の大戦略家マハンに師事する等様々な刺激を受けて帰国した。上記海戦の際に採用した戦法は、この時持ち帰った世界最先端の情報と日本古来(村上水軍)の海戦術を取り込んだものといわれている(異論もあるようですが…)。

このブログのタイトル『晴朗なれども波高し』は、真之が日本海海戦時、出撃に際し大本営へ打電した『本日天気晴朗ナレドモ浪高シ』より拝借したものです。

明治期の小国日本にとって、西欧列強は遠い雲のような存在であると同時に、これらと伍していけなければすなわち国家が消滅してしまう、という悲劇的な状況にありました。当時の若者は自らの人生と国家の運命を同一視し、まさに“国家を背負って立つ”気概を持って職務にあたり、あるものは海を渡りました。秋山真之もそんな若者の一人としてアメリカへ渡ったわけです。当時とは時代も違えば、背負った重荷も、まして彼と私では持って生まれた能力等比べるべくもありませんが、同じ年齢で同じアメリカへ渡った者同士、せめて彼の気概(彼がアメリカへ向かったときの気持ち、日本海海戦に臨むときの気持ち)だけでもあやかりたいものだと思いこのタイトルにしました。ブログを書き始めたのは、私が渡航してからちょうど1ヶ月たった頃でした。“日々苦闘をしつつも、元気で楽しくやっています”というメッセージも一緒にこめたつもりです。

留学の話をもらったのは、ちょうど昨年のサブプライム問題に端を発する金融危機がいよいよ大きくなろうとしている時でした。まさに問題の震源地で何が起きているのか?次の変化の予兆が何か見つけられるのではないか?という期待を持ってアメリカへ行きました。「神は細部に宿る(God is in the details)」という言葉を私は信じているのですが、それこそTV、新聞はもちろん、道行く人から、食べ物、娯楽、はたまた葉っぱの色にまで何か大きなものにつながる材料があるのではないかと五感を研ぎ澄ませ、思考し、言葉にしてきたつもりです。フィルターをかけてしまうと何にもならないと思ったので、感じたことをできるだけぶつ切りのまま綴るよう努力してきました。おかげで弱音を吐いたり、見苦しいところもお見せしましたが、これらは嘘偽りのない自分ですので隠しても仕方ないものですから…。

先日のブログにも書きましたがこの4ヶ月本当に色々なことがありました。100年に一回の金融クライシスと史上初の黒人大統領誕生なんてそうそうお目にかかれるものではありません。アメリカ一国支配体制がいよいよ崩壊するのか、はたまた持ちこたえるのかはわかりませんが、いずれにせよ歴史的大転換点に我々は立っていることに変わりないと思います。大きな変化が訪れる時、それは危険が高まっていることを意味しますが、同時にビックゲインのチャンスが到来していることも確かです。歴史を紐解けば恐竜が滅び我々人間が生まれたのも、古代数々の王朝が誕生したのも、そして日本が二度の躍進(明治維新後、高度経済成長)を遂げたのもみんなきっかけはクライシス(危機)です。そういった意味では悲観的になるばかりでなく、次の変化を見つけること、そしてそれを見つけたならば思い切って行動することが大事だと思います。今回見て、感じて、考えてきたことが何の役に立つのかはわかりませんが、それを活かすも殺すも自分次第。アメリカへ渡った日の瑞々しい気持ちを忘れることなく、これからも日々進んでいけたらと考えています。

ですから今現在の心境はやっぱり、

『本日晴朗なれども波高し』。

3ヶ月間おつきあいくださいました皆様ありがとうございました。今後も日本で一緒にお酒を飲んだり、遊んだりしてくださいな。

2008年11月14日 (金)

帰国②(種)

心配だった荷物重量制限も無事にパスし、あっという間に帰国手続きが済みました。撤収作業が大変だったので少し拍子抜け。出発までまだ時間があったのでラウンジへ行き久方ぶりにのんびりしました。NYのラウンジはリゾート風に噴水やビーチパラソル、デッキチェアがあって素敵です。いすに横になって、噴水をぼ~っと眺めて。NY生活を振り返ろうと思うのですがオシム(タクシーのおじさん)の言葉が頭からはなれません。

私は常々、昨今の資源争奪戦を見ていると100年前の帝国列強による植民地(いわば資源ですから)争奪戦が復活したかのような感覚にとらわれることがあります。そして、その後に続いた大恐慌とナショナリズムの台頭、戦争…。なんとなくシンクロする部分多いと思いませんか?結局、植民地争奪戦に勝利した連合国側はその後の大恐慌を乗り切った一方、持たざる国は右傾化していったわけです。日本は今も昔も変わらず持たざる国のまま…。我々から見れば立派な資源大国のアメリカのいちタクシードライバーですら資源戦争に危機感を覚えている。いわんや何とか~ですよね?

今は飛行機に乗って、余りある14時間(すごくありがたい!こういう時間ほんとなかったですから。) を活用して文章を書いています。4ヶ月前の7月9日、この大地に降り立ったときの日差しの強さ、空気のにおい、街の喧騒、どれも強烈に心に残っています。あれからもう4ヶ月&たった4ヶ月。ほんと色々なことがありました。金融クライシスと大統領選&初の黒人大統領誕生!これだけでもアメリカに来た甲斐があったというものです。喜び、苦しみ色々ありました。きっと、飛行機に乗り込む時もっと確かな手ごたえみたいなものが残っているんだろうなと期待していたんですけれど、全然ありませんでした。むしろ最後“オシム”のせいで悩みがまた増えました(笑)。これも何かの運命かな?きっとここはゴールではなく、スタートなんだということでしょう。そういう意味では、良くも悪くもいろんな種は集めてきたかな、とは思います。それに花が咲くのか?徒花なのか?はたまた芽もでない種なのか?それは今後の自分次第ということでしょう。

帰って一晩寝て落ち着いたら、最後のまとめでも書こうかな。

帰国①(臥竜?鳳雛?それともただのドライバー?)

11/13(木)

帰国当日

6時起床、シャワーを浴びて最後の片付け。珍しく出発15分前に全ての準備が整いました。最後に屋上に上り、フランク・シナトラの『NEW YORK  NEW YORK』を聞きながらエンパイア・ステートビルを眺めます。この曲はヤンキースタジアムでゲーム終了後にいつも流れる曲で、私にとってはNYに対する憧れそのもの。“このちっぽけで最高に刺激的な街で寝起きし、勝負したいんだ”歌詞がすっと心に沁みこみます。そして最後に“この街をどう活かすのかは君次第!”今まで気付かなかったけどそんなこといってたんだ。この歌のとおり、ほんとそうだな。自分はこの街で何を見て、何を感じ、そして何かできたことはあるんだろうか?いつの日か勝負できる時が来るんだろうか?そんなことを考えていると曲が終わり、次の曲が始まったので、最後にエンパイアに一礼してその場を去りました。

8時マンションを出発。今日はオバマがNYに来るとかでひどい渋滞です。ガードマンに知り合いのタクシー運転手を呼んでもらい、8時半、ようやくタクシーに乗り込みました。私は最後の別れをマンハッタンにしようと車窓にかじりついているのですが、タクシーの運転手はうっとうしく次々と話かけてきます。そのうち、オバマが来る話から「オバマが好きか?」という質問になりました。まあ時節柄というのもあるし、貧困層に支持されている(当然タクシードライバー込みと思った)オバマなので、このおじさんもきっとオバマ好きなんだろうと思い、「まあ日本にとってはいいことないけど、景気もこんなだしオバマでいんじゃない!?」といいかげんな返事をした瞬間、鋭い切り返しが返って来ました。「お前はヒロシマ、ナガサキを忘れたのか?」。「は?」オバマと原爆になんの関係が??続けざまに「ロシアに気をつけろ!」。このドライバーおもしれ~!このおじさんただもんじゃない!?既に私の頭からマンハッタンは吹っ飛び、ここから即席政治討論会へ。

おじさんの主張は以下のとおり。アメリカは産業の根幹である製造業をないがしろにし、金融システムを中心とした小手先の金儲け主義に走ってきた。つまり実質的裏づけ価値のないドルを大量にばら撒いて世界中の富を買い集めてきた。しかし、昨今の金融クライシスにおいて錬金術が実はただのめっきであることがばれてしまい、もはや誰もアメリカを相手にしていない。熱狂からさめたアメリカにはもはや売るものは何もなく国力の衰退は免れまい。一方で、ロシアを見てみると大量の原油を背景にいよいよ国力が充実してきている。その膨張政策は政治面にも現れていて、既にイタリアのトップとはかなり深い話し合いにまで発展しているし、我々のお膝元ベネズエラ(アメリカの原油輸入量はサウジに続いて2位らしい)にまで食指を伸ばしている。その外にも旧ソビエト連邦には貧しい国が数多く存在しており、これらの国々と再接近を図っている(グルジアもその一端?)。プーチンは実に狡猾だ…。

こんな時流の中、アメリカ国民はあまりにも鈍感すぎる。上記のように集金システムが崩壊し、今度は生命線である資源が奪われつつある(ベネズエラだけでなく、サウジとの関係も磐石でなくなってきているとのこと)にもかかわらず、内部の憂いにばかり目がいっていてもっとも重要なことに目が向いていない。イタリアとロシアの会談の話も欧州では新聞一面で取り上げられたような内容だったにもかかわらず、アメリカ国内の新聞にはただの一行も出ていないことがそれを物語る。当然、(アメリカ)独自路線を主張する民主党に政権が移った後のことは言うに及ばず!従って、『オバマを当選させるべきでなかった』。

おっしゃるとおり!原油価格下落後の産油国の状況がどうなるのかはよくわからないけど、大局的(オバマの是非は別として)にはそのとおりだと思います。確かに最近のアメリカは国内の救済にばかり目が向きすぎているきらいがあります。7月に来た時にはもう少し国際政治について取り上げていたような気がしますが、金融クライシス、大統領選と立て続けにこなしているうちにマスコミも世論もどんどん視野が狭くなっています。国内の問題が大きいので仕方ないと思いますが、今まで“世界の警察”アメリカの監視のもと動きを拘束されていた勢力にとっては千載一遇のチャンスでしょう。私自身、これらのことは漠然と感じてはいたものの今の今まではっきりと意識していなかったので、おじさんの言葉にははっとさせられました。

このおじさんはいったい何者?かというと、もともとはユーゴスラビアの人で軍事大学(防衛大学みたいなもの?もしかしたら旧陸海軍士官学校のように国のエリートなのかも)を卒業後、某所でエコノミストをやっていたとのこと。90年代の紛争に巻き込まれ、奥さんはそのとき、自身は4年前にアメリカにわたってきたようです。それならば合点がいきます。年齢(既に60歳位)の問題などもあり現時点でタクシードライバーに甘んじていることも、普通のアメリカ人が持ち得ないような国際感覚を持っていることも(少なくともうちのクラスにはパワーバランスの観点から大統領選を論じている子は一人もいませんでした)。割と日本のことは好意的に見てくれているようだったので、お返しに「ストイコヴィッチは最高だ!今も日本のクラブチームで監督やってるよ」というと、初めてにこっと笑って「俺も彼は大好きだ!日本のサッカーもWカップで見ていてとても印象に残っている」と言ってくれました。アメリカの地で、それぞれ違う国を愛するもの同士が心を通わせる、そんなことが普通にできるのもまたアメリカの魅力なんだろうな。

ユーゴのサッカーか…。そういや心なしかオシムに似てたかも。説教くさいところとか。

2008年11月12日 (水)

前夜

11/12(水)

今日はどうしても行かなければならないところがあります。

実はまだ“自由の女神”行ってなかったんです。僕は寿司ネタは一番好きなものは最初に食べて2番目に好きなものは最後に食べる主義なんですが、体調不良からあやうく女神を食べ損ねるところでした。

11時頃家を出て、マンハッタンで一番パンケーキがうまいといわれる『CLINTON St. BAKING』で食事をしました。それから島の南端にあるエリス島行きのフェリー乗り場へ。冬ということもあるのかほとんど待つことなく14時の船に乗れました。出発すること10分、いよいよ女神が近づいてきます。近くで見ると意外に逞しいな~。この女神目指して、何千万という人が祖国を捨てアメリカにやってきたんですよね!?ある人は新天地での成功を夢見て、ある人は祖国から追われて…。物語は移民の数だけあるに違いありません。でも、誰もが船上から自由の女神を見上げて胸に帰するものがあったはずで、その一人一人の思いの全てを女神は変わることなく見守り続けてきたんだなと思うと感慨深いものがありました。最後の最後に見ることが出来て本当によかった。

その後、5番街で買い物をし、ブロードウェイミュージカル鑑賞。今日は100点満天の観光旅行者として最後の一日を楽しみました。最後に見たミュージカルは『Jersey Boys』。往年の人気バンド『Four Seasons』の成功と挫折を名曲にあわせて綴るストーリー。ずっと見たかったのですが人気が高くて今日の今日まで見られませんでした。四人の息の合った歌声とステップに乗せられて大盛り上がり。客層も当時を知る熟年というよりは老人カップルが多く、彼らがみんな若かりしころの気持ちに戻って盛り上がっている様はとてもほほえましいものでした。

帰り道は何度も通った道を楽しみながらのんびり帰りました。ブロードウェイを南下して42stで左折。グランドセントラルステーションの前を通って最後は3AVを右に曲がって、再び南下します。明日陽が昇ると、この道は大量の車とオフィスへ急ぐ人々で溢れかえります。マンホールから立ち昇る蒸気が朝日に照らされてとても幻想的。エンジン音と間断なく続くクラクションの音がビルの谷間に木霊し、マンハッタンの目覚めを知らせます。道端では果物屋が店を広げ、トラックから荷物を降ろす人、ホースで水を撒く人、みなそれぞれの一日が始まります。そんないつもの光景の中に私はもういません。頭では理解していても、まったく実感が沸きません。自分はまたここに戻って来たいのかな?そもそも帰ってこれるのかな?それはいつかな?そんなことを自問しながら最後の一歩一歩を踏み締めて歩きました。

2008年11月10日 (月)

失速

11/10()

530起床。またもや喉いたし…。

今日は朝一、従兄弟夫婦が出社するのに合わせて車に乗ってボストン市内で下ろしてもらう予定。寝ぼけ眼のまま“私の”セカンドハウスにお別れを告げる。

『また来るからな!』

と、いうそばから「そういっていて誰も戻ってこないんだよね!」と従兄弟のきつい一言。なにも言い返せない…。

730、MIT(マサチューセッツ工科大学)でおろして貰い、学生食堂でのんびり食事を取ります。ここが天才数学者君達の巣窟か~。と感慨に浸るも、やっぱり体調がいまひとつのためかあまり感情移入できない。大量の荷物を背負い、右手はカメラでふさがったまま。かつ寒さに耐えながら知らない街を放浪するのは体力がいるようです。その後、フェンウェイパークのツアーに参加し作り笑顔で記念撮影、続いてプルデンシャルタワーのトップからレンガ色の町並みに感嘆の声をあげたころには既に私のバッテリーランプは赤信号へ変わっていました。

そのまま何をするでもなく窓ぎわに座り込みボーっとすること1時間、

「こりゃだめだ。熱がある。家(NY)に帰ろう」とようやく決断。

それでもこの後に及んで、最後にクラムチャウダーが食べられないものかどうか悩み続けた末の決断でした。食べ物に関して俺はつくづく欲深い…。

1930自宅到着。倒れこむように布団にもぐりこむ。ラスト500mどころか、ゴールまであと2歩のところで失速するとは情けない…。残念、無念。

2008年11月 9日 (日)

Priceless

11/9()

朝起きるとなんだか喉が痛い。久しぶりにゆっくり寝たのに布団から出られない。起こしに来た従兄弟の旦那に寝ぼけて「ごめんなさい!ごめんなさい!今起きるところです。」と日本語で平謝り(彼は日本語わかりません)

さて、この日は従兄弟ファミリー企画のボストン観光デーです!朝一、車で20分のところにあるセーラムという街へ向かいます。この街は昔魔女裁判が行われ、多くの命が失われたことで知られています。今では街をあげて魔女をPRしており、占いの店なども点在しています。特にハロウィーンの時には大勢の観光客が訪れ、高速道路から渋滞するほどだと聞きます。実際に訪れてみると魔女の話を抜きにしても、中世の面影を残した港町という感じで歩いていてとても気持ちよかったです。ふらっと立ち寄ったHAREY-DAVIDSONでハーレイのコスチュームをまとった小悪魔風魔女Tシャツを記念に購入!

次なる目的地はJFK記念館。しばしばオバマとケネディが比較されているのを目にしますが、オバマ勝利の影響もあるのか?ないのか?結構な人の入りに驚きました。館内を回ってみて当時の肉声に触れてみるとやはりカリスマ性ありますね。かっこいいですもん。そしてどの政策もアメリカ国民のつぼをうまく捕らえていて、とてもわかりやすいです。やっぱり政策はわかりやすいのが一番!だと僕は思います。“美しい国”っていわれてもな~。散る桜だって美しいですし…。すいません、古いですね。

日没15分前、ハーヴァード大学へ到着!この大学はなんと1636年設立でアメリカ最古。マサチューセッツ建国から7年後にはすでに設立されていたようです。「うちの大学(私の母校)125周年でとても歴史があるんだ」と自慢したら、従兄弟に「たったそれだけか?」とばかにされました。国の歴史は圧勝でも、大学の歴史では全く歯が立たないギャップが少しおもしろかったです。この大学は町全体がキャンパスのようになっていて、いたるところに学生向けの店舗が軒を連ねています。驚いたことに、学生街だというのに安っぽさが全くないんです(私の母校周辺とは大違い)。かなり学費も高いと聞きますし、きっとすごい金持ちのおぼっちゃん達が築き上げた伝統なんでしょう。確かに道行く若者の格好も、少なくともNYのおばかちゃん達とは比べるべくもないな~(おしゃれってわけではないですけど)

今日のディナーは私のたっての願いを聞き入れていただき、昨日に続いてロブスター!!今回でボストンを訪れたのは4回目ですが、毎回どころか毎日のようにロブスターちゃんをいただきました!しかもうれしいことにリセッション(不況)の功罪か、ロブスター価格が暴落しているらしいです。知らなかった、ロブスターはコモディティ(作物価格)と連動するのか!?なんでもお金持ちがロブスターを食べられなくなったらしいですよ。おもしろいな~。今だけはリセッションに軽く感謝。

そして、誕生日ケーキのプレゼントに今度は感激。いかん、親戚だとガードがゆるくなるのかほんとに泣けてきた…。この4ヶ月、これだけ充実した時間を送れたのは間違いなく彼らのおかげです。ボストン、ニューヨーク、ナイアガラ、クーパーズタウン(野球の殿堂)色々なところを共に旅しました。オールスターやワールドシリーズのチケットを取ろうと奔走してくれました。そして何より、アメリカのライフスタイルというものを身をもって体験させてくれました。お金で買えないものを本当にたくさんもらいました。ありがとう!いつか従兄弟会をハワイでやるという夢(ゴルフとビーチと“ホノルルマラソン”)実現させましょう!

2008年11月 8日 (土)

レキシントン・コンコード

11/8() 

5時起床、ボストンへ向かいます。朝一のバスを予約したため出発まであまり時間がありません。一通り準備して、お土産を持ってタクシーに乗り込みます。ぎりぎりで停留所に到着し、慌てて車を降りた瞬間、

『ガッシャーン!!』ひい~()カメラ落とした!!俺の戦友が~!?

とりあえず回収し、戦友の亡骸を抱えるようにバスまでダッシュ!

席に座って無事を確認しようとしますがフタがレンズにめり込んで開きません。なんか中でシャリシャリ音がするし…。やな予感はするが無理にこじ開けて傷を広げるのも嫌だし。

心臓外科医並みの集中力で気をつけな~がら苦闘(最初っから気をつけてれば落とさないのに…)すること2時間、ようやくフタの除去に成功。中を覗き込むと、バラバラとガラスの破片が出てきます。「たのむ!レンズカバーだけですんでくれ」という願いとともに、どきどきしながら一枚一枚ガラスをはがすと下から無傷のレンズが出てきました。よかったぁ~。たぶん大丈夫だ。

1100ボストン到着。従兄弟の車に乗りこみレキシントンへ向かいます。今日は、去年従兄弟の結婚式に出席するため日本にまで来てくれた“ボストンのおばあちゃん”(僕の中ではもうボストンのおばあちゃんです)の家で昼食をご馳走になる予定です。レキシントンはご存知の方も多いと思いますが、アメリカの独立戦争の火蓋が切って落とされたまさにその場所。世界史的には☆三つ(最重要)です!今ではボストン郊外の高級住宅街として知られており、林の中にゆったりとした造りの邸宅が続く町並みはとても美しい。既に紅葉のピークが過ぎていたため、雪でも降ったかのように落ち葉が積もっていてそれはそれで素敵でした。

昼食会はおばあちゃんの娘ファミリー(以前従兄弟の家で一緒に夕食をしたファミリー)も集まってくれてミニパーティ。食事はポテトをこして作ったスープとラップ(メキシコ料理?肉や野菜をクレープのような生地で包んだもの)。話題の中心はやはり4日前に行われた大統領選についてでした。ファミリー揃ってオバマ支持だったのでみんなハッピー!よかったよかった。カメラも好調に動いてくれるし僕もハッピー!

少ししてからおばあちゃんの車に乗せられて、半日史跡めぐりツアーに出ました。レキシントンとコンコードの町は保護区となっていて昔の様子が変わりなく残っています。1775年イギリス軍の進軍に対し、ワンミニッツと呼ばれる民兵(屯田兵みたいなもの?)が抵抗したことから戦闘が始まりました。一時は隣町のコンコードまで押し込まれたアメリカ軍ですが、続々と集結するワンミニッツの加勢により形成逆転、最後はボストンまで押し返したというもの。「当時はあの家とあの教会とあの飲み屋しかなくてこの道の向こうから400のイギリス軍が進軍し、ここで迎え撃ったのよ・・・」おばあちゃん!!プロですか??

っていう位のマニアック講座に大感激。おばあちゃん齢70歳なのに、ワゴン型のレクサス乗り回してるし、本物のレンジャーのようにかっこいいわ!!すっかり心酔。最後は「また来るよ!」と約束して別れました。

2008年11月 7日 (金)

祭りのあと

11/7(金)

昨日のフィナーレから精神崩壊。

朝起きて、ブログを書いて、さて何しよう・・・。

ああ、そうだ撤収準備をしなければ、とクロネコヤマトに電話をする。すべてに力が抜けている。とりあえず、会社に荷物を取りに行かなければ・・・。

なんとなく冴えない頭のまま会社へ向かい、教室の扉を開くとそこは人気のないひんやりとした空気。ああ、もうみんな戻ることがないんだと改めて認識する。

こんどは自習室へ向かうと、扉から光が漏れている。あれ?誰かいるのか?と少しどきどきしながら扉を開くと、

中にいたミッチさんと目が合った。なんだ・・・。ミッチさんか。

ミッチさんもさびしいのか机に置手紙をしている。夜はミッチさん、トモさんと『最後の晩餐』の予定だったので、そこで一旦別れる。

週末はボストンへ行く予定のため御土産を買って、20時ころステーキハウス『Benjamin』で二人と落ち合った。この4ヶ月乗り切れたのは間違いなく2人のおかげでした。英語力、金融知識ともに私よりも優れていて、なにかと助けてもらいました。この研修で色々な国の人達との人脈を得たことは大きな財産ですが、それ以上に2人と知り合えたことは今後の私の人生に大きなプラスとなることでしょう。二人共、某国内金融機関に勤める運用担当者として相当のきれものですが、それ以上に人格的魅力も備えた非常にバランス感覚あふれる人物です。これぞ日本のエリートなんだろうな~。今後も互いに切磋琢磨しながら成長していけたらと思います。

人物ファイル⑨ トモさん(34歳、奥さんと子供一人。)

日本人チームのリーダー。ユーモアあふれる性格からクラスの人気者。特に酔っ払った時、ほとんど英語をしゃべることなくみんなの心を掌握し、扇動していく様は見事(客観的に見ていると少し滑稽でとてもおもしろい)。肩こりもちで、毎日のように肩たたきっこしてました。

人物ファイル⑩ ミッチさん(32歳、奥さんがいます)

某国立大の数学科を卒業。数字とコンピューターの鬼(尊敬~。僕は両方大嫌い)。『勉強する時、暗記はしたことがない』と豪語。冷静かつ高速コンピューター(脳)を人懐こい笑顔のオブラートでくるんだスーパー金融マン。“心にもない”笑顔をそこ、かしこで振りまくためスタバの店員の黒人おばちゃんから、電車で隣り合わせた黒人おじちゃんにまで大人気!人は彼を『黒人(に大人気)のブラピ(ブラッ“ク”・ピット)と呼ぶ』。

22:00、レストランでの食事を終え、うちで飲みなおしました。ミッチさんは日曜に、トモさんは3週間、実務の研修をしてから帰国するとのこと。まずは12月に打ち上げ会で再会することを約束して3:00頃わかれました。

みなさん、本当に本当にお世話になりました!!これからもよろしくお願いします。

2008年11月 6日 (木)

Graduation

11/6(木)

13:00オフィスに到着。あいにくの小雨と比較的暖かな南風。4ヶ月前、プログラム初日もちょうどこんな空模様で、僕のテンパが僕を苦しめたな~と思い出しながら歩いていました。あの日、大いなる期待と不安を抱えながら訪れたこのビルも今では自分の家のように親しみを覚えます。最初のミーティング、クラスメートのみんなが実年齢よりもずっと大人びて、そして心の見えないマネキンのように見えたものです。今では違って見える色々な景色も今日をもって全て見納めです。

パッキングを終え、のんびりしているとまもなくセレモニーが始まりました。一人一人名前を呼ばれ卒業証書と集合写真の入った額縁、カレンダーをもらいます。クラスメート22人の名前すべてが血の通った、とても愛おしいものとして心に響きます。カレンダーの写真を見ているとこの4ヶ月本当に色々な時間をともにすごしてきたんだな~と実感しました。それともうひとつ気づいたことは、どの写真にもセンターで半身でポーズをとり上目遣いで100点満点のスマイルを見せているスザンナ(笑)。額縁に入っている螺旋階段でとった集合写真なんてまるでドラマの製作発表ですよ。こういうのは天性のものなんだな~とすこし感心してしまいました。クラスの主演女優賞は満場一致でスザンナに決定!

18:30オフィスより少し北、トライベッカにあるブラジル料理レストランでお別れパーティです。ここでうれしいことがありました。クラスの担任的存在であるアマンダが乾杯の音頭をとったのですが、「乾杯することが二つ。ひとつめはヒロ(私です)が今日誕生日で30歳になりました!おめでとう!!もうひとつはみんな今日でプログラム卒業です!みんな本当にすばらしい成績でがんばった!トースト(乾杯)!!」と祝福してくれたことです。実はこの日は私の30歳の誕生日でもあったんです。こんなことあっていいのかな。卒業式で一番に祝福してくれるなんて本当に本当に僕は幸せ者です。今日は“プログラム”と一緒に“20代”を卒業したメモリアルデーとなりました。間違いなく人生のハイライトのひとつとして生涯忘れることはないでしょう(涙)。

さて、一次会が終わり今度はタクシーに乗ってずいぶん北の77thにあるバーに移動します。この頃になるとみんな酔っ払ってきて色々本音が出てきます。タクシーの中ではなかなか厳しい悪口大会。「あのできの悪い出しゃばりが、人事であそこの部署に行くなんてどうしても我慢できない。」等々。現実世界はドラマのように甘美なものではないようです。みんな表面では素敵な笑顔で暖かい日常生活を演じていてはいても、心では色々複雑なようです。もちろんそういった面というのはできれば目を背けたい事実ではありますが、アメリカを理解するには避けては通れないものでしょう。そういった意味では最初マネキンのように見えたクラスメートがとても暖かく親しみの持てるものと感じるようになったことが『最初の成長』だとしたら、その暖かさも一様なものではなく裏表があり複雑な人間模様の中で成り立っていることを実感できるようになったということは僕自身、『次のステップ』に進めたということなんだろうなと感じます。やっぱり自分をアピールしてなんぼの世界ですから、みんな色々なところでこびを売ろうとするし、ライバルからすればそういう行為は面白くないわけで、嫉みの対象となります。『出る杭は打たれる』ということわざは何も日本に限ったことではないんですね。日本人からするとみんながみんな理想の世界、理想の自分を演じているように見えますし、その裏で激しい駆け引きをしながら生きていくというのはどれだけ大変なことだろう?そして、本当の味方と敵はどうやって見分けるのか?、ひょっとしてみんな孤独の中でたくましく生きているんだろうか?疑問が次から次に溢れてきますが、残念ながら今はその答えを持ちえません。

バーはすごい人ごみで、みんなビール瓶片手に踊ったり、話こんだり。さっきまで散々悪口をいっていた奴らも、もうその相手と楽しそうに踊って、抱き合っています。本当にたくましい・・・。でもそんないい面悪い面含めて彼らはとても魅力的だし、僕はかれらが大好きです。彼らとの時間もこの店から出た瞬間二度と帰ることがないんだと考えると悲しくて仕方ありませんでした。夜が更けるにつれ、一人、また一人と帰っていきます。そのたびに抱き合って、再会を約束してお別れをしました。別れ際に見せたルーシーやスザンナの涙を見ていると胸がつぶれる思いがし、できることならばずっとニューヨークに留まっていたいものだと願わずにはいられませんでした。

これは、私がカードに書いてみんなに贈った言葉です。

『最高に楽しい、幸せな4ヶ月をありがとう!』

2008年11月 5日 (水)

いよいよ

11/5(水)

プレゼンが終わりました。我々のチームは朝9:00~のトップバッター。2003年に実際にこの会社が融資した案件を擬似的に検討し、役員に提案するというもの。社員のこたちにとっては上の人間からの覚えをよくするまたとないチャンスということもあって、意外なほどみんな緊張気味。我々のチームは融資を実行する方向でプレゼンをしたのですが、なかなかよくできていたのではないでしょうか。最後の総括のときに、実はこの会社は実行後つぶれてしまったという話でしたが・・・。僕は最初の段階で融資に反対してたんだけどな~、英語で説得する力がなく折れてしまいました。もっともっと英語スキルを向上させないとビジネスで彼らとは闘えないことを改めて痛感。

これで本当の意味でプログラムが終わりました。午後のミーティングのときには、ここに座ってみんなの顔を見るのも二度とないんだな~と思いながらも、なんだか実感がわかなくて、ふわふわした感じでした。

授業終了後はクラスメートと軽く飲んでから、日本人会が主催してくれた送別会に参加。結局家に帰ってきたのは朝4時でした。

今は10時に起きて、会社にいくところです。今日はパッキングするだけ。その後に卒業式とお別れパーティーがあります。会社までの道を歩くのも今日が最後。この4ヶ月間のことを色々振り返りながら歩いてみようと思います。

2008年11月 4日 (火)

It's Up To You

11/4(火)

まだ日曜日の記事書いてないんですが、速報性を重視して先に書きます。

IT'S UP TO YOU!これは今日の新聞の見出しです。「この国の将来はあなた次第!」

今日はスーパーチューズデーとよばれる、いわゆる大統領選当日です。この日を迎えるために、両陣営は2年の月日と2,500億円の投資と数え切れないほどの演説を繰り返してきた(新聞の受け売りです)。振り返ってみても本当に長かったですよね?オバマとヒラリーが戦いを繰り広げていたとき、まだ冬でしたからね。これだけ長い戦いであったにもかかわらず最後1ヶ月前に金融クラッシュが起きるなんて。これも天命なのかも・・・って結び付けたくなりますよね?それくらいオバマ大統領の誕生というのは後世、歴史の転換点となる可能性があるんじゃないでしょうか?

今、ちょうどテレビではマケインの敗北宣言が始まりました。「アフリカン・アメリカン出身のオバマが大統領になったことは(過去から現在の流れのなかにおいて)大きな意味をもっており、彼に敬意を表したい。でも、これからのアメリカにとって実はそんなことは問題ではなく、様々な民族の相互扶助によってアメリカは未来に向かうんだ。」的なことをいっています。落ち込む民衆を前にしてマケインもいいこというな~。すっきりとしたいい顔しています。ペイリンも感極まった表情でいいな~。4年後女性初の大統領目指してがんばってください。

さて、今日朝アパートを出て最初に気づいたことは、いつも大渋滞の目の前の道路ががらがらなこと。そして、普段は座れない電車にも座ることができました。これも選挙と関係あるんでしょうか?みんな大体会社に行く前に投票を済ませて会社に来ていましたよ。このことからもわかるとおり、自分の一票が国の未来を決めるんだ、という意識は日本人の持つ感覚とは大きく違うと思いました。親子の会話で、友達同士の会話で普通に政治の話がでてきますから。クラスメートも自分の意見を表明し、外国人である我々にも盛んに自分の支持者をアピールしてきます。彼らのきらきらした目を見ていると、自分の一票で国の主を決められるアメリカのシステムがうらやましくなります。我々のプライムミニスターは僕がアメリカに来ている間にいつの間にかやめていたし・・・。その前の方は神経衰弱になってしまったし・・・。もちろんいい面、悪い面あることは十分承知してますが、それでもやっぱりうらやましい。

今、オバマの勝利宣言が始まりました。スピーチの内容は勝者にふさわしく、これまで表明してきたことの再表明に終始。それよりも画面に映し出される支持者の顔がとても印象的です。白人支持者は満面の笑み、黒人支持者はみんな泣いています。今回のリセッションで被害を被った経済的弱者や、人種差別により虐げられてきた社会的弱者達に押し上げられ、ニューヒーローが誕生したことを強く印象付けるスピーチでした。

2008年11月 2日 (日)

Autumn in NY

11/2(日)

今日はNYマラソンが行われました。風もあって少し寒い気候でしたがランナーにとってはいいコンディションだったのではないでしょうか。朝9時20分、女子の招待選手がスタート!我々は10時に中間地点付近にて観戦スタートです。このマラソンはニューヨーク市を構成する5区すべてを通過する形でコースが設計されています。スタテン島→ブルックリン→クイーンズ→マンハッタン島→ブロンクス→マンハッタン島という順に南からスタートし各ブロックを通過しながら北上、最後は南下し再びマンハッタンに戻ってくるというコースです。我々が陣取ったのはちょうどマンハッタンに入ってすぐ、53STと1AVの辺り。現地に到着するとすでに先にスタートした自転車や車椅子の選手が通過していました。マンハッタンとクイーンズをつなぐ橋を渡ってすぐのところで待ち構えている観衆の暖かい声援にみんな顔をほころばせながら、勢いよく走っていきます。我々からみるとハンデを抱えている車椅子の選手達が本当に幸せそうに疾走していく様は見ていて心温まるものでした。

本日のお目当てはなんといってもポーラ・ラドクリフ。高橋尚子、野口みずきといった日本のトップランナーを散々苦しめてきた張本人ですが、世界のトップランナーの走りはいかほどのものかと心待ちにしていました。待つこと30分、遠くから白バイとパトカーの一群が見えてきました。同時に観客の歓声がいつもよりもトーンが高まり、いよいよ先頭集団が現れたことがわかりました。5人の集団の一番前、サングラスをかけて一際ダイナミックに走るポーラを目撃した瞬間の迫力は衝撃的でした。とても20キロ駆けてきた人間には見えない圧倒的な力感。呼吸も忘れて必至でシャッターを押している自分に気づいた時には、集団はすでに遥かかなたに走り去っていました。すげ~!!ある意味一目ぼれ!これはもう一度見ないことには始まらない!とトモさんと話してすぐさまゴール付近のセントラルパークへ移動。

セントラルパークへ行ってみてびっくり!もう、ほんと紅葉がきれいなんです。ほんの15分位、マラソン見にきていることを忘れてしばし紅葉狩。大都会のど真ん中、なんでこんなものがあるんだろう?と改めて不思議に思いました。摩天楼と紅葉、贅沢極まりないコントラストだこと。

さて、一通り写真をとってようやく戦線(沿道)復帰。公園内の道の沿道、選手に触ろうと思えば簡単に触れる場所にコースがあります。カーブになっているため見通しが悪く、ほんの10m先に接近するまでまったく気づかなかったのですが、最初に視界に現れたのはやはりポーラ・ラドクリフ!すぐ間近を通りすぎたにもかかわらず息遣いが聞こえてくることなく、確かな足音だけが「タムッ、タムッ!」と響きます。いい写真は撮りたいし、この目に直に焼き付けてもおきたいし、大きなジレンマの中でせめて最大限の声援を送ろうと必至で声を出しました。アスリートに対しこういう表現はふさわしくないかもしれませんが、再三怪我に悩まされつつ、出産も経験し、それでも走り続ける36歳の女性の走りはただ、ただかっこよく、見る者の心を打つのでした。

さて、再び最初の観戦地点に舞い戻り今度は昨日夕食をご馳走になった方(Aさん)の応援です。7万人のランナーに声援を送ろうと地元の人々や国からやってきた人達で沿道はいっぱい。私も何とか木によじ登りAさんを探します。ランナーは後から後から老若男女問わず、みんな思い思いの格好で走っていきます。ロッキーの格好をしてサイドステップを踏みながら沿道を右から左へジグザグに走っていく人。スーツを着てSPの格好をしながら(革靴?)で走っていく人・・・。この格好で42キロ走りきる体力は脅威的です。陣取った場所は後半に差し掛かったところなのでみんな疲れは隠せませんがとても充実した顔をしています。知り合いの声援に気づくとうれしそうに近づいてきてハイタッチしたり、必至に走る父親を見つけて歩みよる赤ちゃんを立ち止まって抱きかかえる光景などはとても感動的でした。知らない人の声援もとても温かいんです。「Stick to it!(あきらめるな!)」、「あと半分だ!がんばれ!!」、「お前ならできる!!」みんなそれぞれに違う言葉をかけてあげます。日本の抑揚のない声でひたすら繰り返される「がんばれ~、がんばれ~」(しかもスポンサーの新聞社の旗。お前ら選手の応援というよりスポンサーの宣伝じゃないか!!)とはわけが違います。待つこと40分、ようやくAさんが来ました!!ここに知り合いがいるのがすごいうれしい!Aさんの足はすでに限界のようで、我々を見つけると苦笑いを浮かべ、近づいてきて座り込みます。すぐさま靴下脱いでバンテリン塗って、再び走っていきました!ラスト20キロ、がんばれ!

なんだか心がほくほくした気持ちのまま今度は、観戦場所からすぐ近くにあるテラの家に行きました。今日は来週に迫ったプレゼンの打ち合わせをする予定です。うちのチームはテラ、ノーマン、マギー、私です。天気のいい日曜日の昼下がり、こうしてのんびり話しあうのもいいな~。すぐ2日後に迫った本番を考えながらも、みんなどことなくその後の別れを意識していて、盛り上がるでも盛り下がるでもなく、なんだか不思議な空気でした。

16:30テラの家を後にして、今度はマジソン・スクエアガーデンに向かいます。今日は前からチケットをとっていたNBAの試合があります。一日にこんなにイベントをこなすなんて確実にキャパシティオーバーだな・・・。対戦カードはNYニックス対ミルウォーキーバックス!ニックスはここ最近の低迷から人気も落ちていて、開幕直後だというのに客の入りはいまいち。バスケの応援はものすごい盛り上がりだと聞いていたのでその辺は期待はずれでした。それ以上に僕の気持ちがマラソンに持っていかれてたかも・・・。ここでもゲストとしてポーラ・ラドクリフが来ていて、観客の声援にこたえて手を振ります。昼間の戦闘モードとは打って変わって、黒のドレスに身を包んだポーラもまたかっこいい!今日はマラソンに始まり、やっぱりマラソンに終わった一日でした。ニューヨーク市最大のイベントですから、仕方ないですよね?

2008年11月 1日 (土)

Hung Over

11/1(土)

いよいよ11月です。いきなり二日酔いです・・・。

今日はカジノの街・アトランティック・シティに行って大儲けしようと思ってたのに。

でも、損するはずのお金が節約できて、逆に儲けたに等しいかも。

結局、三時頃ようやく布団から抜け出してプレゼンの準備をしていると、あっという間に夜になりました。20:00頃、この4ヶ月お世話になった方(トモさんの同期)のお宅を訪問し晩御飯をご馳走になってきました。なんでも、明日はNYマラソンに出場するとか。そんな方に晩御飯作らせるなんて・・・。明日はがんばってほしいです!

さて、こういうのんびりした日にはクラスメートの紹介でも。

人物ファイル⑧ ニーフ(アイルランド人、女性、30歳、社員)

昨日のハロウィンで踊りまくってた娘です。もともと理工学部出身の秀才。今の会社でも表彰を受けるほどの実績を残しており、それが評価されたのかこの研修に参加しています。いわゆるアメリカのヤンキー娘と違って、アイルランドの厳しい自然環境がそうさせるのか、はたまたケルト民族の悲哀がにじみ出るのかはわかりませんが、一歩控えめでおしとやかな女性です。きっと日本の着物がばっちり似合うんだろうな~という感じ。

アイルランド語(ケルト民族の言葉であるゲール語の一派)、英語を話せますが、家ではケルト語を使っているとか。ニーフという名前もケルトの名前だそうです。この言語は非常に理解が難しい。教えてもらおうとおもっても、聞いたそばから一体どうやって発音するのか検討がつきません。「Go raibh míle maith agaibh」これはゴーレビミーレマサゴッフだったかな?これが「ありがとう」です。ぱっと聞くとまるで呪文のようです。結局この4ヶ月で覚えられた単語はたったひとつだけ。でもこの素敵な言葉のおかげで昨日はと~ってもおいしいお酒がたくさん飲めましたよ。

『スローンチャ!!』(かんぱ~い!)

2008年10月31日 (金)

Happy Halloween!

10/31(金)

今日はハロウィーンです!一ヶ月程前から街中に突然コスプレの店がオープンしたり、八百屋の入り口にはオレンジのかぼちゃが山積みにされたりするのを目撃していたので結構しっかりした行事なんだな~とうすうす気づいていたんですがここまでとは・・・。

ハロウィーンとはもともとケルト人の収穫祭から始まったといわれています。彼らにとって11月1日は新たな年(暗闇の季節)の始まりであることから、10月31日の日暮れとともに新年を迎える儀式を執り行ったようです。この時あの世とこの世が近づくことから霊魂の活動が活発になると考えられていたため、魔よけの意味をこめて幽霊や怪物の格好をしたことが我々がイメージするハロウィーンの起源です。だから、日本の文化に置き換えて考えると、“まさに”盆と正月がいっぺんに来た!ってところでしょうか!?

陽が傾き始めると街の雰囲気が変わり始めました。7AVでパレードがあるというので電車で向かったのですが、開始二時間前には既に厳戒態勢がとられていてどこもかしこもポリス、ポリス・・・。この小さい島によくもこれだけのポリスがいたものだと妙に関心してしまいました。ここ20年でマンハッタンの治安は劇的に改善されたといわれていますが、こうして見るとそれも納得!

さて、パレードが始まるまでの間、『パパイヤ・ホットドッグ』で軽く胃袋を満たしながらのんびり待っていると、次から次に仮装をした人々が集まってきます。その量がはんぱでなく道という道は機能麻痺を起こしています。しかもみんなかぶりものを被っていて視界が悪いので動きが悪いし、ぶつかってくるし、少し腹だたしかったです。一度、後ろから思いっきり当たられたので、思わずにらめつけてやろうと振り返ると、それがトロルのように凶悪な格好をして、巨大な刀を握りしめた黒人の兄ちゃんで思わず悲鳴を上げそうになりました(涙)。本気で怖い・・・。

7時20分パレードが始まりました。骸骨や幽霊やらの行列が延々と続きます。一般参加者も募っており、みんなおばけの他アニメのキャラクターやただの女装等、思い思いの格好をして楽しんでいました。思ったよりも長かったのとその後の予定もあったため、途中で切り上げて帰ろうとしたのですがこれが一苦労。道は更に人であふれかえっています。しかも続々とパレードのあるエリアへ向かってくるので、逆方向に歩くのが非常に大変でした。南北を貫く形でパレードが行われているので東にある自分の家に近づくこともできないし。先日アメリカ人が「普通ハロウィーンは子供のお祭りだけれど、NYでは全員でやるお祭りだ」と話していたことを思い出しました。

ようやく家にたどり着き、着替えてこんどはクラスメートのテラの家に向かいます。家で飲もうといっていたのでささやかな飲み会と思い気楽に行ってみてびっくり。ここでもハロウィーンパーティを開いていて家の中は仮装をした人でおお賑わい。クラブのようにがんがん音楽をかけて騒いでいて、思わず隣人に怒られないのか?と心配になってしまいました。でもすごく楽しかったです。テラの大学時代の男友達三人と意気投合。持参した日本酒を飲ませて、ドラゴンボールの話をして・・・最後は日本で再会することを約束!もっと色々な話をしたり、遊んだり、同じ時間をすごしてみたかった。あまりにも少ない残り(滞在)時間をうらめしく思いました。あとあとテラに聞いてみると、彼らはゴールドマンサックスと医者と弁護士とのこと。ただの馬鹿だと思ってたらみんなとってもお育ちがよいのね・・・思わずため息がでました。

他のクラスメートもみんなハロウィンの格好で着飾っていてとても楽しそう。特にアイルランドからきているニーフが普段では想像できない位テンションが高くて面白かったです。普段はおとなしいシャラポワみたいなのに、ピンクのかつらを被って踊っていてまるでカイヤのようでした(笑)。僕も即席でアイリッシュダンスを教えてもらいましたよ!きっとハロウィーンの本場(ケルト)から来たニーフはこの行事に対する思い入れがちがうに違いない!と一人合点。結局2時くらいまで飲んで帰りました。彼らとすごす時間もちょうど残り1週間。泣きそうです。

2008年10月30日 (木)

10/30(木)

朝、会社に行く準備をしていて何気な~くテレビの音を聞き流していたら、珍しくニッポンのことをあれこれ話していることに気づきました。よくよく見るとグリーンピースかシー・シェパードか、はたまた別の団体なのかが、ニュース番組にゲスト出演して捕鯨問題について報道しているようです(彼らが報道番組に堂々と招かれるような市民権を得ているとは知りませんでした)。彼らの主張を簡単にまとめると下記のとおりです。

1、日本は国際法に反して捕鯨を続けている、

2、鯨が人間でないからといって同じ哺乳類を虐殺するべきでない、

3、日本の捕鯨船は火器を使用し我々を攻撃してきた、

そしてテレビから流れてくる映像は『大量に積み込まれた鯨の死体』と『それを残虐にも解体する乗員の動き』、そして『爆薬を抗議団体に投げつける恐ろしい日本人』。まるで領海侵犯を犯す北朝鮮工作員のように日本人が見えます。あれ?この問題ってそんな話だったっけ?日本人が加害者だなんて聞いたことないぞ?

私が日本にいてマスコミを通じて認識している内容はこんな感じです。

1→調査目的で一部捕獲

2→鯨の過剰保護は海の生態系を逆に乱す(のである程度の間引きは必要)

3→団体の活動は時に過激であり、我々は危険な目にあっている

一体どっちが正しいのやら?同じ問題を語っていてここまで違うものでしょうか?事実はひとつのはずですが、立場違えば景色も180度違うということなんでしょうか。

一応、私自身の判断としては日本の主張が間違っているとは思っていないです。この報道にも製作者の意図を感じましたので。3の日本側の暴力行為にしても、その瞬間だけを切り取ったものを繰り返し報道しており、その前後に何があったのかわからないようにできていました(活動家が先に仕掛けたのかもしれないし)。日本人が投げつけたものも爆竹のようなもので、あれが攻撃と呼べるのかどうか疑わしいものでした(活動家はここぞとばかりに「あいつら撃って(fire)きやがった」と騒いでましたが)。

ただ、この場合どっちが正しい、正しくないということは僕の中ではあまり大きな意味がなくて(本当のことを判断するには勉強不足なので)、それよりも今回強く感じたことは“報道って非常に恐ろしく、時に暴力的だ”ということ。事実はどうあれストーリーは発信者の意図によって容易に捻じ曲げられてしまいますし、報道される側は何の対抗手段もなく、殴られ続けなければならないわけですから。これを見たアメリカの人々はきっと日本人は残虐な奴らだと思うことでしょうね。

だから、情報の受けてとしてせめてできることは、受け取った情報を100%信用せず、常に何%かは発信者の意図が組み込まれていることを意識すること。そしてなるべく様々な角度から情報を収集し、自分の中でフィルターをかけて残ったものを自分の意見として消化すること。かな~、なんて朝からのんびり考えていたら大遅刻してしまいました。やべぇ。

現在進行中のプレゼン準備結構大変です。夜もエクセルの打ち込みをしたり、土日も一度チームミーティングをしないと間に合わな状況です。この後に及んでまだ残業しないといけないなんて・・・。あれも、これもまだし足りないことが山積。とにかく時間が足りないです!

2008年10月29日 (水)

寒い!少なくとも僕は。

10/29(水)

アメリカ人の考察③ ボラがでかい

最近めっきり寒くなりました。気温0度のこともありますし、結構風も強くて寒いの苦手な私には結構きつい・・・。まだ冬の入り口でこの程度であれば、1,2月のことを思うと本当に寒さの厳しいところなんだと実感。歴史書で『1620年、寒風吹きすさぶ12月のプリマスに清教徒が上陸。寒さと飢えにより半数が冬を越せずに死亡した。』とあるのを読んだことがありますが、そりゃそうだ!僕は今でさえ死にそうですもん。

さて、私が寒さにこらえ街を歩いていると、目の前を半そでTシャツの娘が“涼しげ”に歩いていきました。こいつは何を考えているんだ?我慢比べでもしてるんじゃないのか?首をかしげながらもオフィスに到着。今日から始まったクレジット講座(自分が銀行の立場にたってLBO案件や融資案件を検討するプレゼンが来週あるんですが、それに先立つ講習)を聞いていて、ふと左を見ると(先生を中心にコの時になっていて私は中央奥の席)・・・。

まるで初夏のセントラルパークを散歩しているかのように夏模様のリンゼイを発見!ここにも元気娘がいたか!こいつも何考えてるんだ!?そういえば、先日のボランティアの日も寒かったけどリンゼイは短パンTシャツで来てたことを思い出した。きっと体の機能がひとつ壊れているに違いない。うんうん、と一人納得しながらふと右を見ると今度は、高そうな茶色のカシミアコートに身を包み、しかもマフラーをぐるぐる巻きにした完全装備のケイトを発見!こいつもまた何考えているんだ??いくら寒いとはいえ空調が効いている教室でその格好は今度は暑さ我慢大会でもしてるんじゃないのか??それともその高そうなコートをみんなに見せたいのか?まずはそのマフラーを外せ!と説教のひとつもたれたくなってしまう、おじさんの僕でした。

アメリカ合衆国。様々な人種、文化が共存する社会。想像を絶するほどの富豪が存在する一方で、貧しい生活に苦しむ人もまた数多く抱えている社会。個人は自らの立ち位置を明確にし、オリジナルであることをよしとする。従って、生活から考えかたまで千差万別。よくも悪くもボラティリティ(変化幅)の大きな国だとこの4ヶ月感じてきました。“が”っ!

暑さ、寒さにも自己主張があるのか!?この国は?。みんな体温36度なんだろうし、外気0度になれば水は一様に凍るものです。それなのに、ノースリーブとコートが一緒に授業を受けている・・・。アメリカ合衆国、本当に懐の深い国だ。僕はまだその深遠の入り口を垣間見たにすぎない。

2008年10月28日 (火)

New York Phil

10/28(火)

今日はネゴシエーション研修なるものを受けました。例えば、“家を売るチーム”と“家を買うチーム”に分かれて商談をして、できるだけ都合のよい条件で契約を成立させるというもの。ゲーム終了後にはそれぞれの手の内を明かしてディスカッションをしました。最初の頃は楽しみながらやっていたのですが、流石に10回以上繰り返すと飽きてきて最後はなあなあになってしまいました。やっぱり交渉ごとというのは色々(拮抗した)な条件がそろって、かつお互いに深い利害関係人となって初めて成り立つものだと思います。従って、ゲームで擬似的にネゴを経験するというのは、必要な試みだとは思いますが、かなり難しいのではないでしょうか。マックスも帰りに「waste waste(無駄だった)」といってました。

さて、夜はニューヨークフィルに行ってきました。オペラやミュージカル「South Pacific」と同じリンカーンセンター内にコンサートホールはあります。オペラと同じような心構えで行ったのですが思っていたよりもかなり敷居は低く、会場の雰囲気や客の格好などもジャケットを着ていれば浮かない程度でした(オペラのときはジャケットにカジュアルパンツの自分がまるでこじきになったかのように浮いてました)。席は思い切って一番前(右端のほう)を買いました。知らなかったんですが、一階(オーケストラ席)は真ん中が一番高くて、一番前はむしろ安いんです。音のバランスとかあるんでしょうね。私は音よりも奏者の息遣いや細かい動きを見てみたかったので前にしました。実際に3メートル前で演奏している楽団の臨場感というのはすごかったです。弦の上を走る指の音まで聞こえてきましたし、下手したら指揮者の髪が揺れる音まで聞こえそうな(“気がしました”)。ただ、横を向いて聞くのは結構しんどいし、やっぱり音楽を楽しむには2流の席なんだなと認識しました。

曲は1,Mozart『Symphony No.34 in C major,K.338』、2,Bartok『Violin Concerto No.2,BB117』、3,Brahms『Symphony No.3 in F major,Op.90』。2番目のバルトークの曲がかなりチャレンジングな印象で聞いていて疲れました。まるで精神崩壊でもしてしまいそうな曲でした。ソロでがんばってたヴァイオリン奏者には申し訳ないですが・・・。その分?1,3曲目はモーツアルト、ブラームスのソフト路線で構成されていて、安心して(笑)聞くことできました。ただ、2曲目で雰囲気が寸断されているため最後の最後まであまり盛り上がることなく淡々と終了した印象でした。

今回一番の感動は指揮者を目の前で見るとほんとうまいな~と思ったことです。タクトの先をじっと見つめていると水中を浮遊するミジンコのように(クリオネとかいったほうが素敵ですね・・・)、ありきたりですが生き物のように躍動するんです!そしてアイコンタクトと手振りで楽団を掌握していく様子は見事。“のだめ”の玉木宏より全然うまい!!(失礼)。

2008年10月26日 (日)

船上(戦場)カメラマン

10/26()

実は私、カメラ屋の息子でありながら、機械音痴も手伝ってカメラのことなぞまるでわかりませんでした。ところが今回、NYに行くにあたり一大決心し、一眼レフを初めて購入。これが非常に面白い!どこへ行くにも持ち歩いて片っ端から取りまくっています(テクニックについては全然わかりません。ただセンスで撮ってるだけです)。おかげでパソコンはデータでいっぱいになりパンク寸前です。こないだも深夜にスライドショーでNYライフをおさらいしていたら3時間もかかってしまいました()。映画よりも長いとは・・・。

さて話しは変わりますが、今日はトモさん、ミッチさんと三人でハドソンリバーの紅葉クルーズに行ってきました。昨日の嵐が去って雲ひとつない快晴となり、最高のクルージング日和となりました。1230ダウンタウンのサウスシーポートを出発。出航早々、ブルックリンブリッジ、自由の女神、マンハッタンと次々と現れるスポットにシャッターを押し続けました。こうして見ると、マンハッタン島というのは本当にうまく開発されたものです。碁盤の目上に道が交差しているので建物の並びに統一感があって本当にきれい。これだけビルが建っているのに道の正面に差し掛かるときれいに反対側の空が見えるんです。そしてハドソンリバーを北上するにつれて、オフィスビル群から高層マンションエリア、そして緑の多い高級住宅街エリアへと次々と顔色を変えていきます。船上からは見えませんが、マンハッタン島の中心には広大なセントラルパークが位置しており、まさにマンハッタンの顔としてこの街に彩りを添えています。200年前の開発当初、これだけのスケールで、かつ秩序立って計画を立てた開発者の慧眼は驚嘆に値します。

出航から30分、ジョージ・ワシントン橋を通過すると徐々に森林が広がり始めました。途中ウェストチェスターに一旦立ち寄った後、さらに北上。北へ向かうに連れ黄色や紅に染まった木々が増えていきます。せっかくのシャッターチャンスを逃すまいと一眼レフのファインダーを覗きながらしばらく佇んでいると、トモさんたちに「厳しい顔をして、まるで何かと戦っている戦場カメラマンだ」と言われました。確かにニット帽かぶってジーパン、ジャケットでそんな風に見えるかも。でも、何かと戦ってるんじゃなくて、風が寒くて我慢していただけなんだけど・・・。

先日、コロンビア大に行ったときのブログで色々な生き方について書いたことがありましたが、“もし”ひとつ間違ってたら戦場カメラマンになってたかもな~って思うときがたまにあります。もともと美術が好きで絵を描いたり、美術館へ行くことが好きなんですが、一方で世界中の色々なところへ行き、その文化に触れ、歴史にふれ、人々の体温を感じることも大好きです。そして、建前と本音、虚実が交錯する、色々な意味で人間の本性が垣間見える戦争というものも私の興味対象の一つです。もう少しカメラに興味があったなら、もう少し(仕事として)報道に興味があったなら・・・。でも、そうしたら既にどこかで死んでたかもしれないですね。

さて、いよいよ紅葉の度合いが増してきました。遠くの山々まで続く紅葉の絨毯が秋の太陽に照らされて本当にきれい。そして、点在する金持ちの別荘とヨットハーバー。NYの金持ちはこんなところで最高に贅沢な森林浴をしてリフレッシュしていたんですね。世界の都NYからたった一時間でこんな自然と触れ合うことができるなんて、東京では考えられないことです。そういった意味でもNYのすばらしさというか、東京のある意味貧しさを感じずにはいられませんでした。

帰りはツアー会社の思惑通り?夕暮れ時にマンハッタン島に差し掛かったのですが、この時間になっても雲ひとつない空と夕日に染まるビル群が最高にきれい。まだ2週間残しているとはいえ、苦楽を共にした三人がまもなくNY生活に終わりを告げ、それぞれの道に帰っていくことを感じさせた晩秋のひと時でした。

2008年10月25日 (土)

世界の中心で雨宿りをする馬鹿一人

10/25() 今日は長い・・・

今日は朝からボルトバス($10)に乗ってフィラデルフィアに行ってきました。NYから2時間、12時前に到着しました。この街は今でこそ表舞台には出てきませんが、もともとは大英帝国におけるロンドンに次ぐ第二の都市として繁栄を誇っていました(現在は全米5位。意外に大きいんですね)。独立戦争の前後は一時新国家の首都であったことから、アメリカ建国にまつわる観光スポットが数多く存在している街です。独立を宣言した際に打ち鳴らされた“リバティベル(自由の鐘)”、独立宣言が採択された会議場“独立記念館”、第一回大陸会議が開催された“カーペンターズホール”等々。また、こうした建造物がある一帯をオールドタウンとして保存しており当時の面影を見ることができます。レンガ調の町並みと紅葉がぴったりマッチしており、時折通過する馬車の蹄の音と相まってとても素敵な雰囲気でした。

建物に入ると古い木と埃とカビがない交ぜになった少し懐かしい匂いがしました。会議場や独立宣言が起草された執務室等、当時の様子が保存されており、理想に満ち溢れた革命家達の手によってアメリカ合衆国が産声をあげた当時のことを思い浮かべることができました。ただし、アメリカの宝といっても建物は意外な程質素。確かにセンスはいいですが、木材を中心に建てられた2階建てで、華美な装飾はほとんどありません。豪華絢爛なヨーロッパの宮殿などとは比べるべくもありませんでした。逆にいうと、当時のアメリカがいかに余裕がなく、ぎりぎりのところで大帝国・イギリスと戦っていたのかを窺い知ることができます。これらの記念館の拝観料は全て無料、観光案内所も小さな博物館のように充実しており、地図や観光地めぐりのアドバイスをくれたりと、観光客にとってはとてもありがたい街でした。

さて、歴史が観光の名所ならば、食べ物の名物は“チーズ・ステーキ”(ステーキというよりはホットドッグのパンに、薄切りのビーフとたまねぎをいためて挟み、チーズをかけたもの。ファーストフードの一種です)。クラスにもフィラデルフィア出身の子が何人かいるのですが、「週末フィラデルフィア行くよ」というと一言目には必ず「チーズ・ステーキを食って来い!」といわれるくらい。特にパッツ・キング・オブ・テークスという店がNo.1だというので、いってきました。パッツは中心街から少し離れた住宅街にあるのですが、そこに着くと大勢の車と人だかりですごい熱気。あいにくの嵐の日だったのですが、その一角だけは空気が全然違いました。早速列に並ぶと店員のがなり声が聞こえてきます。「ネークスト!!(思いっきり重低音のぶっきらぼうな声を想像してください)」「ネークスト!!」驚くほど処理速度が速く、注文して5秒で品が出てきます。逆に客がのろのろするのを極端に嫌うようで、みんなネークスト言われた瞬間に即答しています。僕はがんばってメニューを覗き込み、しっかり決めていたのですが、選んだ物がまずかった。「ネークスト!」いわれた瞬間に『mushroom and pepper cheese steaks』と言おうとしたのですが、緊張してかんでしまい、案の定おばさんに「あぁ~!?」とすごまれてしまいました・・・。でも味は絶品!中から滴り落ちる肉汁と解けたチーズの味が最高にうまい。苦労して食べた甲斐がありました!

昼食が終わって、歴史観光も終わって、さて第三の目的地へ向かいます。時はすでに夕刻、嵐もますます厳しくなり街にはほとんど歩く人影もありません。途中のスラム街をびびりながらも抜けようやくたどり着いた先に見たものは、“奇妙に階段を上り下りする大勢の人々”!!そうです、ここはロッキーが勝利を目指して地獄のトレーニングを敢行した有名な階段だったのです。こんな嵐の薄暗い時間帯、すでに段上にある美術館は閉館しているというのに、次から次へと階段を駆け上ってはガッツポーズや雄たけびを上げる人々。中には本格的にトレーニングにいそしむ人物もおり、ずぶ濡れになりながらもぴたぴたのスパッツにランニングシューズで階段を“横向き”ダッシュで駆け上がり、頂上で仁王立ち!!しばし空に向かって目を閉じてから、再び階段を駆け下り夕方の街へ消えていきました。かぁっこいい~(笑)。がんばれ未来のロッキー!

階段横の茂みの中にはロッキーの銅像があり、ここでも記念写真を撮るために人々が列を成していました。私も恥ずかしながらロッキーと記念撮影をして、満足して踵を返すとそこには、馬にまたがる雄雄しいワシントン像が。今の今までこんなところにワシントンがいるとは全く気づかなかった。しかも建国の父なのに観光客が誰もいない・・・。ボクサー・ロッキーは順番待ちなのに・・・。

すげー!ロッキーは初代アメリカ大統領・ワシントンを越え、すでに伝説となっていた・・・。

1800本日の最終目的地へ向かいます!そうです、今日はメジャーリーグのワールドシリーズが開かれる予定です。15年ぶりのワールドシリーズ進出ということで街は大盛り上がりです。バスの行き先の電光掲示板にも『GO!PHILLIES』の文字が。球場へ向かう僕の頭の中では当然“ロッキーのテーマ”ソングがリピートして止まりません!(といってもチケットを持っているわけではなく、ただ雰囲気を冷やかしにいくだけなんですけどね)。地下鉄に乗るとフィリーズグッズに身を包んだ人々で赤(チームカラー)一色!ちびっ子からおじいさんまでみんな頭に「ρ(ピー)」の文字が超かわいい。電車が駅に到着すると自然発生的に拍手と歓声が沸き起こり、みんな抱き合ってから、口々に「レッツゴー!」。ノルマンディーの戦場に飛び出す海兵隊のようにみんな戦意高揚していました。こういうのいいな~。

球場に着くと、そこには大勢の人々と『World Series2008』の文字!が。ここが世界の中心なんだな~としばし感傷に浸っていると、再び嵐がやってきました。しかも最大級。傘もとっくに壊れてしまいずぶ濡れになり、軒下で雨宿りをするも、すげー寒い。みんなそんな雨にもめげずに楽しそうに雨宿りしているのですが、そんな中たった一人、確たる目的もなくじっと雨が止むのを待っている私はなんなんでしょうか・・・。やっぱり馬鹿者?まあ、そんな変な状況にいる自分も少し楽しいからいいや。その後1時間ほど雨宿りをしてから球場を後にしました。結局2130のバスに乗り、自宅に着いたのは12時前でした。試合は2時間遅れで無事開催され、地元フィリーズが勝利を収めたようです。あのおじいちゃんもちびっこもさぞ喜んだんだろうな~、よかったよかった。

念のためですが、僕はチケットがないのにフィラデルフィアいって雨宿りしてきたのではなくて、フィラデルフィアに行ったら野球がやってたので冷やかしにいったのですよ!?僕の名誉のために一応。

2008年10月24日 (金)

『ヘアスプレー』を見て思ふこと

夜は『ヘアスプレー』というミュージカルを観にいきました。60年代のボルティモアが舞台。明るくてダンス好きの白人のでぶっちょの女の子がテレビのダンス番組で人気者になるものの、差別や偏見の中で苦しみ、最後は打ち克っていくというストーリーです。数年前に映画化され、ジョントラボルタが女装して話題になりましたが、その元となったコメディミュージカルです。主人公の女の子の明るさと、ダンスの切れに乗せられてとっても面白くみることができました。ただ、見た目の軽さとは裏腹に、人種問題をテーマに取り上げておりなかなか考えさせられる面もありました。

差別問題を歌って踊って面白おかしく、って結構難しいんじゃないでしょうか?最後は黒人を差別していた白人達が貶められているのでバランスは取れているんですが・・・。途中では逆のシーンが多くて、たとえば60年代はテレビに黒人は出演が許されていなくて、唯一“ニグロナイト”にだけそれが許されていました(舞台でニグロという単語を使うのも驚きですが)。黒人のダンスのすばらしさを知っている主人公の女の子がテレビ収録中に「毎日ニグロナイトにしたらいいのに?」という問題発言をしてしまい、現場の白人達は大騒ぎ・・・。というシーンをみんな大爆笑して見ているのですが、その観客はみんな白人。黒人はまずいません。黒人が見たらどんな気分なんだろう?演じている黒人役者はどんな気分なんだろう?そして、自分たちの過去の行いを一片の後ろめたさもなく笑い飛ばせる彼ら(白人)の精神構造とはどうなっているのか?と気になってしまい、100%入り込めない自分がいました。日本に置き換えて見て、戦時中の舞台等確かに過去の差別問題を取り上げるシーンはありますが、見ている自分としては心に重いものを感じますし、ましてやコメディにして笑い飛ばすなんて想像もできません。彼らの中では今も明確にそうした考えが残っていて純粋に見下して楽しんでいるのか?それとも全て消化しきって、過去のこととしてきれいさっぱり忘れてしまっているのか?僕は世の中そんな単純なものではないと思うので彼らの考えはやっぱりわかりません。

人種問題については非常に難しいのであまりはっきりしたことはいいたくないし、断定するつもりもありませんがあくまで自分が感じたことを。今の会社の中にも黒人はいますし仲良くやっているように見えます。ああ、これがテレビで見ていた自由の国アメリカだな~と思うわけです。でも待てよ、テレビの枠(黒人が白人と仲良くしている光景)を広げてみて、左を見て、右を見てよくよく考えると、そこには白人しかいないんですよ。つまり比率でいえば95%白人で、5%が黒人やその他人種。それって平等(少なくとも機会均等)であるはずないですよね?一方、オフィスを一歩出て隣のマックに行くと、従業員は全員黒人です。ビル内外のこの差を見せられて何も感じないわけありませんよ。黒人従業員はまったく夢も希望もない目をしていて、仕事がいやでいやで仕方がない様子。当然、サービス精神のかけらも持ちあわせていません。そして、彼らが私に向ける目もまた差別的なものです。ストレスを感じている人間は、一方で加害者としてストレスをぶつけることで精神の健全性を保とうとするのでしょうか?

一方、普段白人社会にいると、こころの底でどう思っているかは知りませんが(たぶん我々に興味がないのか、アメリカ的正義感に満ちているのか、のどちらかの人が多い気がします)、少なくとも差別的なことで不快な思いをすることはありません(今のところ)

この2つのギャップはなんなんでしょう?百年前の外相小村寿太郎の回想で「ハーヴァードに留学していたとき、白人から不快な思いをすることはなく、むしろ敬意をもって接してくれた。これがアメリカなんだと思っていたら、労働者階級の考えはまったく別物らしい。アメリカは複雑な国だ」と語っていたことを思い出します。要は百年前からず~っと変わらず続いているギャップなんですね。時代は変われど、根っこは変わらないってことなんでしょうか。自由の国?アメリカンドリーム?つっこみたいことは色々ありますが、今日はこの辺にしておきます。

国連本部

10/24()

今日は3時に授業が終わったので、グランドセントラル駅近くにある国連本部にいってきました。金曜の3時からいいご身分だ!と皮肉のひとつでも言われそうですが、確かにそうですね。ただ、アメリカでは金曜の午後はみんな驚くほど早く帰っていきます。今日もチームプレゼンの準備が残っていたのですが、打ち合わせをしようという空気が生まれる訳でもなく、みんな早々にコートを着込み始めたので、ああ、終わりなんだなと思い、あきらめて帰りました。

                  

彼らにとっては就業時間内とかは全く関係ないんでしょうか?金曜4時位に会社側がミーティングを入れたときなどは、「週末前に本当に申し訳ないけど付き合ってくれ」という感じですし、一方のクラスメートは「4時半に飛行機の予約とってしまったのに・・・」という感じ。というか、4時半にとるなよ!って僕は思いますけど。日本でそんなことをする新入社員がいたら確実になめてますよね。

さて、国連の敷地は、もともとロックフェラーが国連を誘致するために私有地を寄付した場所です。現在では国際管理ということで、どの国にも属さない土地になっています。建物に入るのは無料ですが、中のツアーが7.5ドル。一番驚いたのが想像以上に商業化していたことです。土産物屋の充実振りなんかは立派な観光地です。多少の時代遅れ感もない交ぜになって、東京タワーのみやげ物屋みたいでした。ツアーのガイドさんはスペイン人の女性でスペイン語なまりがありましたが、とても聞きやすく丁寧に説明してくれました。おそらく、色々な国の方がガイドを務めているんでしょうね。無国籍エリアにいることを改めて実感しました。展示品も各国の寄贈品や芸術作品がいたるところにあって、日本の庭園と鐘もなかなか素敵。その他ホロコーストや広島の原爆のコーナーなど平和を謳ったものも充実していました。思ったよりもアメリカ色がないことに好感がもてましたよ。

                        

さて、お目当ての会議場は閉館1分前に入ることができラッキーでした。ずらりと参加192カ国の机が並ぶ大ホールはテレビでおなじみのもの。ここで国の代表として席に座る方のプレッシャーといったらやはり大変なものだろうな、と改めて実感。自分にできることはたぶんありませんが、日本のため、世界平和のためにがんばってほしいと思います。

このあと、夜20:00からミュージカルに行く予定でしたがまだ時間もありましたので一旦帰宅しました。

2008年10月23日 (木)

カリオケナイト!

10/23(木)

試験が終了したことを記念して夜はクラスメートとカラオケに行きました。

日本人3人でカラオケに行ったことがあって、その話をクラスメートにして以来、日本人は毎日サケ(日本酒)を飲んでカリオケ(英語表示はKARAOKEですがなぜかみんなカリオケ、カリオケっていいます)に行くもんだと思っているようです。みんなカリオケに興味津々で一度はみんなで行こう!と以前から言っていました。

お店は現地のクラスメートが手配してくれたのですが、行ってびっくり。ただのバーと変わりなくみんな立ち飲みで、ワールドシリーズの観戦をしたり、思い思いの話をしていて大賑わい。「ここカラオケや?」と聞くと、今日は『カリオケデー』であそこの舞台でみんな歌うんだと教えてくれました。すっかり日本のカラオケボックスを思い浮かべていたので文化の違いに少し驚きました。日本のスナックみたいなスタイルと思えばいいのか・・・。でも、客200人くらいいるぞ!?ちょっとしたライブハウスで歌うようなもんだな~。

カリオケタイムが始まって最初のころは色々な人が歌っていたのですが、まもなく登場した黒人のおじさんがめちゃくちゃうまくて大盛り上がり。すっかりそのおじさんの個人ライブと化してしまいました。やっぱり黒人の声って全然違いますね。みんな歌いに来たのにすっかり聞きほれてしまい、ほとんど歌うことなく、それでも満足して帰っていきました。最初の目的と違う気がするが、まあ、いっか。

ラスト直線500m

最終試験終わりました。英語の問題読み間違えてしまった~。平均点高そうなので結構痛いです。もう帰るってのになんですが、英語って難しい。我々が学校で習ったようなきれいな英語が使われているわけではなく、構文とかお構いなしに作られていて、なんだこれ?って文章も結構多いです。言葉というのはそもそも進化を繰り返して変遷していくものなので、必ずしもそれが間違っているのではないと思うのですが。構造的に文章を理解できない私にとって、単語から推測をしていくとどうしても埋まらないブラックボックスのようなものが残ります。そこが、文章の肝の部分だったりすると厄介で、まったく逆の意味ともとれるような状況にしばしば陥ります。その二者択一に失敗すると、その時点でその問題アウト!ってことに。まあ言い訳というか、個人的にはそうした苦労を買いに来ていると思っているのでそれはそれでかまわないのですが、成績が悪いのを帰って責められるのは勘弁してほしいな~、なんて。やっぱり言い訳ですね。

さて、ついに第四コーナー回って直線に入りました。この先もグループワークやプレゼンなどがありますが、机に座って必死に勉強して、というものはこれでおしまいです。この3ヶ月振り返ってみると、結構勉強したな~と思います。ブログを見ている方は遊んでばっかじゃないかって思うと思いますけどね(笑)。客観的な評価は別として自分のなかで(できる範囲で)精一杯やったという自負はあります。それこそ大学受験以来かもしれません。今までブログには書いてなかったですけど、隣の住人の騒音に毎晩のように悩まされながら勉強することも多かったですし、6時に家に帰って朝まで勉強することもありました。そのときはけっこうつらかったですけど、これからの人生そうそうあることでもないと思うし、いい経験だったかなと今では思います。

ラスト2週間!、悔いのないよう今までにも増して全力で駆け抜けて行きたいと思います!!

2008年10月21日 (火)

妄想家<修行僧

10/20(月)

昨日はNFL観戦に続いて、夜はMLB(AL)優勝決定戦でレッドソックスを応援(TV観戦)!フェンウェイパーク(ボストン)でワールドシリーズを観戦することを夢見ていたのですが、ほんとーに残念ながら負けてしまい、凹みました。がけっぷちの第五戦に0-7でリードされるも奇跡の逆転を果たしたあたりから、自分に流れが来てるんじゃないかと淡い期待を抱いていたのですが・・・。こっちに来てからというものオールスター、ラストヤンキースタジアム、フェンウェイ、野球殿堂と野球関係の夢が次々とかなってしまい、ついでにもうひとつ!と欲張ったのがいけなかったかな。まあ、WS観戦は後々の楽しみにとっておきます。

そんなこんなで昨日はスポーツに頭一杯だったので、つい土曜日の出来事をすっ飛ばしてしまいました。

以下、10/18(土)

コロンビア大学に行ってきました。1754年設立の当大学は全米で6番目の歴史を誇り、世界大学ランキングでも常に上位に数えられるいわずと知れた有名私立大学です。ノーベル賞受賞者数はなんと88名!この数字は世界最多。物理・医学などの理系学科から政治・経済・法学等の社会科学系、文学、芸術、スポーツまで実に幅広い分野で輝かしい成果を収めています。有名卒業生は各国大統領からアーティストまでそれこそ星の数ほどおり、リストを眺めているとその量・質におもわずため息が出るほどです。

キャンパスはセントラルパークの北西に位置しています。この日は少し南のアッパーウェストでブランチを済ませてから徒歩で移動。最近頻発しているというコロンビア狩り(コロンビアの学生を狙った暴行事件)の影におびえながらも歩くこと30分、ブロードウェイ沿いにそれはありました。わりとこじんまりとした門をくぐり50m程、サッカー場大の広場に突き当たると有名なドーム型の建物が目に入ってきます。広々としたキャンパスに堂々と聳え立つロウ・ライブラリーはとても美しく、迫力がありました。紫禁城のように、といったら言い過ぎかな、平等院鳳凰堂くらいにしておきます。

土曜日であるにもかかわらず結構学生もいて、みんな階段や芝生の上で楽しそうに談笑したり、読書に耽ったりしていました。これが憧れのアメリカの大学生活なんだな~と思うと、彼らがとてもうらやましくなりました。コロンビアでMBAなんていいな~。世界景気もこんなだし、回復するまで大学で勉強しようかな、なんて本気で考えたり、考えなかったり・・・。でも、今の仕事も楽しいし、金もないしな~。う~ん、この年になってやりたいことが次々に溢れてきて困ってしまう。自分が高校位の時には、30にもなったら人生決まっていて嫌いな仕事を奴隷のようにたんたんとこなしていくんだろうな、って思ってたけど。結構予想外だなぁ~。

あれこれ考えてると、ついつい妄想の世界に浸ってしまうのが僕の悪い癖です。実は今週の木曜日は最終試験があるんです。遠い未来のことより、まずは明日(木曜)のことが大事!というわけで今日から4日間、修行僧になります!

ブログもまた木曜日、かな!?ではでは。

2008年10月20日 (月)

NFL

10/19(日)

今日は念願の初NFL観戦に行ってきました!!めちゃくちゃよかった!

実は私、アメフト食わず嫌いでほとんど見たことありませんでした。ルールが複雑な印象なのと、ラグビー含めイギリスが大好きなので、アメリカが自分勝手に改造したスポーツに拒絶反応があったんです(野球はアメリカオリジナルだからいいんです。自分の中では)。ただ、アメリカ人が野球以上に熱狂するスポーツとはなんなのか?ず~っと気にはなってました。

今回こうして機会を得たので、どうせ見るならば一流を見るべきだろう!ということでディフェンディングチャンピオン・NYジャイアンツ(対サンフランシスコ49ers)のチケットを購入しました。NFLは人気No1スポーツであるにもかかわらず、試合数年間たったの10数試合!ということでどの試合のチケットもプレミア化します。今回はネットに出回っていた一階席の年間指定席をそんなに高くない値段で入手できたのでとってもラッキーでした。

さて、本日の試合会場であるジャイアンツスタジアムはマンハッタンからバスで20分と程近い、“ニュージャージー州”にあります。“?”ということはニューヨークジャイアンツの本拠地は実はニューヨーク州にないんですね。しかも、もうひとつの球団ニューヨークJETSも同じスタジアムを共同利用している、ということは厳密にいえばNYにNFLチームはひとつもないんですね(州的にはバッファローにあるか)。知らなかった。東京ディズニーランドと一緒と思えばいいのか・・・。

午前11時、試合2時間前にスタジアムに到着すると、既に駐車場には見渡す限りの車とBBQを楽しむ人々の群れ!!チームカラーの青いテントと旗が無数にたなびいており、まるで軍隊(チンギスハンとか~)の野営に迷い込んだかのよう。観客7万人であることを考えると、数万人が一斉にバーベキューですよ!!おかげであたりは肉の匂いで一杯。少し笑えましたけど、それ以上に壮観でした!私はさっそくスタジアムに乗り込んだのですが、まだだ~れも中にいません。すぐ外では数万人が肉食ってるのに。「お前ら応援する気あるのか?」っと突っ込みたくなりましたが、試合が始まるとファン達の熱狂ぶりは野球以上でした。やっぱりアメリカ人は楽しみ上手でした。

さて、今回観戦するにあたって唯一にして最大の心配ごとが、ルールを知らないため果たして楽しめるのかどうか?ということでした。前の日にはクラスメートのスー(去年まで強豪ボストンカレッジでフットボールをプレーしていて、日本でいえばさしずめ“甲子園出場選手”かそれより上かも。)に講習を開いてもらい一応勉強をして臨みました。結果からいえば、まったく問題なく試合に入り込むことができました。考えてみれば、野球大好き!ラグビー大好き!の私ですから、そのあいのこのようなアメフトを見るのにルールさえ知っていれば意外に敷居は高くありませんでした。

実際に試合を見て感じたことは、プレイヤーは“人”というより”獣”の匂いがしました(笑)。特に驚きだったのが、アメフトは野球のように守備する時間と攻撃する時間が明確にわかれているのですが、守備する側はひたすら守るのかと思いきや、超アグレッシブ!ボールを持っているクォーターバック目掛けて飛びつく様なんて、カモシカに飛びかかる黒豹か山猫ですよ!選手名鑑を見るとみんな前科持ちみたいな顔してます。そりゃー日本人NFLプレイヤーなんか出てくるわけありませんよ。無理ですもん。そんな中、唯一といっていい王子系の顔をしたスタークォーターバック“マニング”の存在の有難さといったらありません。いつもクールにチームを指揮しているその姿はフィールドにおける一服の清涼剤。う~んかっこいい。思わず、ユニフォーム購入してしまいました(またまた散財だ・・・)

今日は天気もほんとによく、暖かかったし、予定通りジャイアンツが勝利を収めたし、いうことなし!でした。唯一の心残りといえば、NFLの華・チアガールが見れなかったことくらいでしょうか。なんとジャイアンツはチア持ってないんですね、残念。今度はチア見るためにNYジェッツの試合でも行こうかな~。

2008年10月19日 (日)

STOMP

10/15(水)

今日は会社が終わってからSTOMPを見に行ってきました。昼休みにチケッツ(ブロードウェイのチケットの当日券が割引でうっているところ)で購入したため半額の38ドルで見れました。NYは物価が高いという先入観がありますが、ショー関係や洋服など必ずしもその限りでないものも多く、うまくやればいろいろおいしい思いができます。

さて、STOMPは通称Off Broadwayと呼ばれるカテゴリーに属しており、タイムズスクエア周辺に点在している『Broadway』と呼ばれるミュージカルとは一線を画した存在です。一般的には観客席が500以下の小劇場で行われているものをOff Broadwayと呼んでおり、ここで成功を収めBroadwayに進出したミュージカルも多いようです。ただ、STOMPやBlue Manなどは既に世界的な名声を手に入れていますがパフォーマンス主体の芸風であるためかBroadwayには進出せず、長らくOff Broadwayの顔として君臨しています。

STOMPはたびたび日本公演も行っておりますし、メディアを通じて目にすることも多いのでみなさんご存知だと思いますが、モップやバケツなどいわゆる楽器以外のものを使って音を作りだすあれです。8人でパフォーマンスするのですが、基本せりふなし、メロディーなし。リズムとパフォーマンスだけで観客を魅了し、笑いをとる技術はすばらしいの一言でした。最後は観客総立ちならぬ、総足踏み(一緒にリズムをとる)状態で非常に盛り上がりました。思ったよりも笑いの要素が多かったのが意外でした。出演者同士のかけあいがとても息が合っていて、『8時だよ、全員集合!』を見ているような懐かしい気持ちにさせられました。STOMP見てなんですけど、日本に帰ってドリフのDVD買おうかな。

2008年10月18日 (土)

Katz's Deli

10/14(火)

今日は午後は自習の時間だったので、ランチは散歩がてら遠出しました。場所はウォール街から少し北上した1th streetの近くのレストラン「Katz's Deli」。ユダヤ系デリの老舗でガイドブックにも載っている有名店です。映画のロケにも使われている他、有名人の訪問も多く店内には所狭しと写真が飾られていました。入り口で伝票をもらって、店内のカウンターでオーダーをしてチェックしてもらうシステムですが、カウンターのオヤジが飲食店の店員というよりは肉屋(ブッチャー)のオヤジ!ガイドブックに書いてあるとおりとっても無愛想(ガイドブックにそんなこと書いてあるのもすごいですが)で怖い。私は有名なパストラミサンドを頼んだのですが「ああっ??パストラミ?」といってから刀のように長尺の包丁を両手につかんで、まな板の上の肉に乱れ打ち。ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!(その間なぜか薄笑い)、としてからおもむろにまな板に包丁を突き立てて、投げつけるようにサンドを渡してくれました。ただ、ブッチャーの態度に反して、そのとき味見させてくれた肉の味は格別にうまかった!

日本でパストラミサンドというとうすーいスライス肉が2枚程度はさんでいて、普通のサンドイッチと大差ないイメージですが、ここのは肉片が4センチ程積み上げられてサンドされておりまるで別物。これにコーシャといわれるきれいな緑色をした丸ごと一本のピクルスがごろっと3本!付いてきます。このコーシャという食べ物はユダヤ教で清浄な食物と認められたものらしいですが、大のきゅうり嫌いの私にとっては、ドラキュラの十字架、にんにくに等しく、見ただけで鳥肌ものでした。ただ、サンドの味は非常に印象深く、一度はトライする価値ありと思いました。

ここNYでは想像以上にユダヤ人の存在感は大きく、前述のようなレストランばかりでなく、ユダヤ教の教会なども多いです。ユダヤ教徒は常に頭にキッパとよばれるお皿のような帽子を載せて歩いていますし、超正統派とよばれる人々は夏も冬も黒のスーツにシルクハット、もみ上げもひげもそらない、といういでたちでいるのでよく目につきます。アメリカ金融界におけるユダヤ人の存在感、アメリカとイスラエルとの関係などを考えると当たり前なのですが、日本ではほとんどお目にかかれないこうした人々をNYで見たときの印象は非常に鮮烈で、ある種カルチャーショックに近いものがありました。

さて、うちのクラスにもユダヤ人が一人いますので彼の紹介を。

人物ファイル⑦ノーマン(ユダヤ人、男性、27歳、社員)

このノーマンという男、NY産まれ、NY育ちでNYをこよなく愛するいかにもなヤンキー。当然ながらヤンキース大好きです。いたずらとスラングが大好きで、いたいけな我々日本人にスラングを教えては大喜びしている幼いやつなんです。しかし、見た目は27歳という年齢にして完全なビアベリー(ビールっぱら。ちなみにノーマンが教えてくれました)、頭も薄いのでパッと見40歳の部長クラス。幼稚園児の男の子と産まれたばかりの双子がいて、いつも夜鳴きに悩まされながら眠い目をこすりつつ授業を聞いています。彼の英語は非常に聞き取りづらく難しいですが、そのあけっぴろげな性格から気兼ねなく軽口をたたけるので付き合うのに楽チンな相手です。

今日もランチから帰ってくるとノーマンが、「お前は日本に帰らないで、アメリカでトイレの清掃員になれ」とからかってきたので、「じゃあお前は、カッツでブッチャー(肉屋)になっておれにスペシャルなパストラミサンドを作ってくれ」といって遊んでいました。その後も一日中顔を合わせるたびにブッチャー、ブッチャーと言っていたらプライドに傷がついたのか不満そうな顔をするので、「じゃあお前はトトロだ!」(見た目がずんぐりしているので)とあだ名をつけてやるとトトロの音が気に入ったのか、「と~っとろ」「と~っとろ」って喜んでいました。かわいい奴。

2008年10月17日 (金)

旅③

10/12(日)

15:30にバスに乗り込み、ケベックを後にしました。期間中、天気によく恵まれまして。特に紅葉を見る上では晴れているのと、曇っているのとは大違いのため本当にラッキーでした。この旅にきて久々に空をこころ行くまでながめたな~、と思いました。普段、マンハッタン内にいると四方をビルに囲まれており、ほとんど空が見えません。上を見上げると碁盤の目のように細い空(角度にすると10/180度)が十字に続いているばかりで、空というよりは心情的には天井みたいなものです。ですから、ケベックでほぼ180度に近い空!を眺めるとそれだけで心がうきうきしてしまいます。忘れられないのがフェリー(セントローレンス川の両岸を結ぶ船)ににのった時のこと。見上げれば180度の空、眼下にはほぼ180度の川面。ほぼ360度を水色に囲まれているときの爽快感。本来これが普通なんでしょうけど。既にコンクリートジャングルに冒されている証拠ですね。

さて、ケベックからモントリオールは3時間の道のり。途中モントリオールオリンピックの競技場のモニュメントが夕日に照らされている光景がとってもきれいでした。モントリオールに到着するとすでに日が暮れていました。9時のNY行きバスまでの時間、市街を散策したんですが、はっきりいってモントリオールの何たるかはまったくわかりませんでした。有名なサンドニ通りなどを歩いてみたのですが、パリに近いというか、東京に近いというか、つまり大都市な訳で徒歩でちょろちょろしたところで観光客が期待しているようなものには出会えませんでした。考えてみれば300万都市といえば、新大阪駅前を歩いてもよくわからないのと一緒ですね。結局、アメリカでも食べているバーガーキングで食事をすませバスに乗り込みました。『モントリオールは一日にして成らず』でした。ちょっとちがいますけど・・・。

人物ファイル⑥ベス(バスドライバー、女性、中年、メタボ)

帰りのバスは、行きの失敗を繰り返すまいと、ドライバー席後ろのゆったりシートをゲット!快適に帰るつもりでしたが、幸か不幸かなかなか面白いバス旅となりました。主役はドライバーのおばちゃんベス。イメージは朝潮をおばちゃんにしたと考えてもらえれば。確かに女性で国境越えの夜行バスのドライバーなんてアメリカは違うな~とは思っていたんですが。ただ、すごい堂々としているし、出発して早々は饒舌に乗客と話ているし安心してのってました。

最初に異変に気づいたのはやたらと白線(点線)の上を走ることです。がたん、がたん、ずーっといっているので、まあこういうのもゆりかごみたいに眠くなりますね~とかみっちさんと冗談でいってました。続く高速の料金所では『What do you want?(あなたどの書類がほしいの?)』とかいってるのを耳にしましたが、まあ暇つぶしに料金所のおじさんと遊んでるのかな~っとここでも思っていました。更に、国境の前にはデューティーフリーに立ち寄るのですが、ここでも出発の時間になってもなかなか運転手ベスが帰ってきません。予定より遅れて20分、ようやく巨漢をゆらゆらさせながら大量の買い物袋を提げて帰ってきて一言、「○○!ちゃんといる?私はあなたを探しにいっていたのよ!他にも全員いる?返事がないので出発します!」って、うそつけ!お前明らかに買い物しすぎで遅れただろ!そしていない人返事しろ!っていないから返事ないって考えないのか!?後ろの座席のアラブ系のおじさんはこのときからずーっと「時間がない、時間がない、オーマイガ、オーマイガ」っていってました。きっとビジネスとかあるんでしょう、かわいそうに。

事態が急変したのは、国境に到着したとき。出発から2時間、すでに40分程度遅れて到着したのですが、外を見ると真っ暗闇。事態の異様さに気づいた乗客たちが口々に「入国審査はここじゃない!」とか「お前の仕事はパーフェクトだ!ただちょっと場所が違うだけだ。」とか騒いでいます。この後におよんでパーフェクトはないだろ~とかおもいましたが、精一杯相手をたてて、気持ちよく仕事をしてもらおうという配慮なんでしょう。少しうけました。しばらく乗客があれやこれやと騒いでいると、運転手ベスがもらした驚愕の一言、「私は今日が初めての運転なんだ・・・」。えぇー!?乗客一同沈黙。じゃあ、運転が下手なのも、料金所でもたついていたのも、遊んでたんじゃなくて・・・。

バス停車から15分、様子がおかしいことに気づいたのか、フル装備した国境警備隊のような人がバスに乗り込んできました。そして、バスを誘導。「国境越えの人数は?」との問いかけに、ベスのとった行動は『人数点呼』。えぇー!デューティーフリーで人数確認とかいう問題じゃなくて、そもそも何人乗っているのか知らないのか!!

ようやく審査を終えてバスに戻ってくると、ベスはもりもりと巨大なハンバーガーをおいしそうにほおばっていました。その神経の図太さはすばらしいよ、とあきれてしまいました。さて、無事国境を越え再出発をするも、スピードは上がらないし、しばしば道を間違えては一番前のおじさんに「そっちじゃない、ユーターンしろ」と指示される始末。張本人のベスは「情報が多すぎる・・・、情報が多すぎる・・・」となにやらつぶやき続けていて、まるで墜落した飛行機のヴォイスレコーダーのよう。

午前3時半、最終経由地アルバニーでグレイハウンド社の上役が3人乗り込んできて、監督をはじめました。この時間にひっぱりだされた人も大変だけど、ちょっと準備が足りなすぎるのでは・・・。流石にここからは順調に走り続け午前6:30過ぎ、予定から2時間半遅れてバスはマンハッタンに入りました。そして、我々を深い眠りから呼び起こす車内アナウンスのベスの一言。『Welcome to NY!』。しかもとっても不機嫌そう(笑)。ベスに「ようこそ!」いわれる筋合いないわ。どこまで空気読めてないのか??思いもよらない一言にミッチさんと二人で顔を見合わせて笑いをかみ殺していました(うしろのおじさんに殺されそうなので)。

時間的制約のない我々は一番前の特等席でどたばた騒ぎを鑑賞できたのでとっても面白かったのですが、生活のかかっている大勢の乗客にとってはほんとにほんとに災難でした。まさか、初体験バスに乗り合わせてしまうとは。しかも、ベスの準備不足といい、会社の放置プレーといい、アメリカのいいかげんさもここに極まれり、といった感じでした。

そういえば、国境で「どこに行くんだ?」って聞かれていたベスは「ディズニーワールド」っていっていたな~。冗談でなければオーランドってことだよな~。ってことはNYはなが~い、なが~い道程のほんの一部ってことですよね~?果たしてベスはちゃんとミッキーにたどり着けたのかな~?知る由もないですが、改めてアメリカのスケールのでかさを実感することができました。

旅編おわり~

2008年10月15日 (水)

旅②

10/11(土)

午前11時ケベック到着。最初の感想は「寒!」。考えてみればNYが北海道と同じくらいの緯度ですから、ここはロシアですよ。ありったけの重ね着をしていきましたがコートなしは少々寒かった。

ケベックは北米大陸唯一の城砦都市で、北米の都市で最初に世界遺産に登録された街です。ちょうど今年は街が生まれて400年ということで、いたるところに『400』を模った看板が出ていました。今月末には盛大にフェスティバルが催されるとのことでした。ここはもともとフランスの植民地として開発されたため、その名残が随所に見られます。公用語はフランス語ですし、街にはフレンチレストランが非常に多いです。トレゾール通りに入ると、パリのモンマルトルの丘のようにたくさんの絵画が露天で売られていて、旧イギリス植民地とは違った雰囲気を味わうことができます。

山城なので街の中はすべて坂。少々疲れる面もありますが、逆にコンパクトにできているためすべて徒歩で歩いて回れることは観光客にとっては助かります。山頂に“フェアモント・ル・シャトー・フロントナック”という街のシンボルともいうべきホテル(見た目は古城のよう)があり、街のいたるところから見ることができます。そのほかにも、中世ヨーロッパのような町並みや、紅葉、セントローレンス河畔に豪華客船。更には夕日に気球まで登場する始末で、シャッターポイントの連続に興奮しっぱなし。ミッチさんと二人で「この角度はやばいです!」とか騒ぎながら、一日中写真ばっかりとっていました。

食事は、行った日のブランチに「Asse Crepe Breton」というレストランに入って、クレープを堪能しました。食事用とデザート用を両方頼んだのですが、特にストロベリークレープにメイプルシロップをかけて食べる味が絶品!御土産にメイプルシロップを買い込んだことは言うまでもありません。

もともと次の日は早朝にケベックを発ってモントリオール観光をするつもりだったのですが、すっかりケベックの魅力にとりつかれてしまい、次の日も街を散策。結局バスに乗り込んだのは午後3時半でした。それでも、美術館や博物館など見たりないところ盛りだくさんで、可能であればもう一日滞在したいくらいでした。いや~想定以上にいい街でしたよ。ちょうど紅葉の季節にいけたこともラッキーだったのかもしれないですけど、とにかくケベック最高~!!でした。

2008年10月14日 (火)

旅①

10/10(金)

今回の旅行のタイトルは『夜行バスでいく、秋のケベック一泊三日格安ツアー!29,800円~』。添乗員は私。客はミッチさんです。

夜23:00発のグレイ・ハウンドバスに乗り込み、カナダ・モントリオールへ向かいました。NY~モントリオールは700km程度の道のりで、8時間程度。海外での夜行バスに乗ると、設備面や時間のいい加減さ、回りの乗客とのトラブルなど結構いやなことも多いです。今回もグレイ・ハウンドの情報をネットで見ていると、同路線だけでも8月に殺人事件があったとか、2年前に脱輪事故で死亡事故があったとか、結構恐ろしいことが実際起きているわけです。ビビるといけないのでミッチさんには帰ってくるまで内緒にしてましたけど・・・。

ただ、私はそんな夜行バスが嫌いではないです。それこそ、人種から年齢まで様々な人々が、様々な目的を持ってひとつのバスに乗り込み、一時目的地を共有するという感覚がなんともいえず好きなんです。普段、仕事の場にいるとどうしても社会的にも、考え方も近い人同士でいることが当たり前になってしまいがちですが、旅に出るとそれこそ世界にはあらゆる価値観や生き方があることをいやがおうにも考えさせられます。幸い旅行中というのは、物思いにふける時間が豊富にあるため、真っ暗なバスの中や、停留所でバスの出発を待っている時間などに、色々感じた刺激を噛み砕いてあれこれ思索することが、私にとっての“旅の醍醐味”といってもいいかもしれません。

道中、人種差別まがいのトラブルからミッチさんともども一番後ろの劣悪なシートに押し込められてしまいました。あまりの狭さにほとんど眠ることができず、ずっとドラクエの世界に逃げ込んでいたというつらさもありましたが、朝5時ころカナダの国境に無事到着。目的地のケベック州は北米唯一のフランス語圏ということもあり、審査官の「Bonjour!]という挨拶に異国に来たことを実感!国境を越えるとまもなく空が白み始めました。するとそこは見渡す限りの大平原と、真っ赤に染まった紅葉の大地!大陸の広大さと紅葉の鮮やかさに疲れた心も一片に吹き飛びました。

朝7時半モントリオール到着。すぐさまバスを乗り換え、今度はオルレアン・エクスプレスというバスで一路ケベックを目指します!モントリオール~ケベック間は別名メープル街道とも呼ばれているように紅葉がきれいな植物の森がずっと続く道。季節も天気もバッチリで、車窓を流れていく紅の帯をカメラ片手に、いつまでも飽くことなくながめていました。こちらの紅葉は、日本の紅葉のはかなさに比べて、紅にしろ黄色にしろ蛍光塗料のように鮮やかでとても明るいんです。偶然かもしれないですが、日本人と米・カナダ人の違いに近いな~なんて思いました。

明日は、ケベック編をお伝えします~

2008年10月11日 (土)

旅行に行ってきます。

昨日、試験が終了しました。残すはファイナルエグザムだけです。

徐々に収束モードが漂ってきました。勉強もがんばらないといけないですが、もっともっと色々なものを見ておきたい、と結構あせってます。明日からの三連休はそういう意味でも旅行に行くには最後のチャンス!ということで、今からカナダいってきます~。こっちに来て結構散財しているので、気休めですが、夜行バスを乗り継いで(ちなみに帰りも夜行バスです)貧乏旅行してきます。

目的地は、モントリオールとケベックです。NYも結構寒いですが、きっとカナダはもっと寒いんだと思います。でも紅葉を見るのにはいい時期だと思うし、楽しみです。ケベック州はフランス語圏ということで、大学時代に第二外国語で学んだフランス語を駆使して(???)行ってきます。ちなみに月曜の朝に帰宅予定です。

では、日本のみなさんも体育の日?を楽しんでください。こっちはコロンブスデーです!

2008年10月 8日 (水)

計算が合わない!?

アメリカ人の考察② 見栄っ張り?

最近、会社の食堂でランチをとっていると、クラスメートに「そんなに食べるのか?」と驚かれることがあります。いや、メイン料理の皿とサラダの皿を重ねて、その上にコーラを乗っけて歩いているだけなんですけどね。だって、アメリカのレストラン行くとそれこそ、2人前頼んだのか?っていうようなボリュームが出てくるじゃないですか。日本人からすると、「そんなに食べるのか?」ってのはこっちのセリフですよね?ところが、彼らの食べているものを覗くと、サラダだけだったり、りんごと食パンだけだったり、確かに全然食べていない・・・。

これはいったいどうしたことだろう???昼は我慢して夜にピザでもドカ食いしているのでは?と思って「夜飯はなにくってるんだ?」って聞くと、「野菜だ!」っていうんです。だって、一日中サラダ食べていて、そのたるんだ腹はないだろう!!しかも21,22歳で腹出てるってよっぽどだぞ、って思うわけです。(摂取カロリー)-(消費カロリー)=結果、ですよね?基本的には。結構ジムに通ってる子も多いしな~。ひょっとして彼らは恐ろしく吸収がいい体なのか?それともうそつきなのか?お菓子食べすぎなのか?、私の疑問はいくら考えても解消されないままです。たぶん、本当は一杯食べてるんだと思うけどな~。

さて、かくいう私の今日の夕食はグラセン近くにある『SOUP MAN』というスープ専門店のロブスタートマトスープでした。昼時には行列ができるという人気店というので、挑戦してみました。$10ドルと少し高めでしたが、しっかりとロブスターの身が入っていて、コクもあってとっても美味しかった!といいたいところでしたが、とにかくしょっぱい!非常にもったいない。煮詰まっていたのかもしれないし、またリベンジしてみます。明日はコーポレートファイナンスの試験です。がんばります!!

2008年10月 4日 (土)

オペラ

10/4(土)

今日はオペラ鑑賞にいってきました。メトロポリタン・オペラハウスはリンカーンセンターの一角にある豪華絢爛な建物です。1883年にオープンしたのですが、その前衛的なデザインはとても100年以上前のものとは思えません。入り口を入るとすぐ目に入るロビーは、花火のように華やかで繊細なシャンデリアを曲線的な階段が3次元に包みこみます。それを彩る白乳色ベースの内装とレッドカーペットのコントラストがとても美しく、思わず見とれてしまいました。舞台装置、観客席ももちろんすばらしく想像以上に巨大な空間でした。以前ミラノのスカラ座に行ったことがあるのですが、こちらのいかにもなヨーロッパ調の建物とは違い、メトロポリタンは“アメリカに今までにないオペラの殿堂を作るんだ”というつくり手の意図を感じました。

観客席は3,700席あるのですが、満席状態。ほぼ毎日行われているにもかかわらずこの集客力はすごいですね。しかも、客の質の高いこと。女性はみんなドレスを着込んで、男性は蝶ネクタイ、シルクハット姿の方も多く、ジャケットを着ていった自分が恥ずかしかったくらいでした。そしてほぼ全員白人。たま~に小金を持ったアジア人がいましたが、黒人は一度も見ませんでした。休憩時間にはシャンパン片手に談笑しており、上流階級の社交の場を垣間見れたような気がしました。

演目は『ドン・ジョバンニ』(モーツァルト作)。割と有名な作品だと思いますが、ストーリー自体は女たらしのドン・ジョバンニが好き勝手して、罰があたるというシンプル且つどうしようもないもの。「オペラ」と肩肘張ってしまうとそのギャップに落胆してしまいますが、考えてみたら大昔の金持ちのテレビドラマみたいなものなんでしょう。そう考えると納得いきますし、日本の古典芸能だって同じようなものですもんね。ただし、オーケストラの演奏や歌い手の声量、質はとてもすばらしく、ストーリーなんてどうでもよく、聞きほれてしまいました。

今回はオペラはもちろん、その場の雰囲気など含めとってもいい経験ができました。たまには思いっきり着飾って芸術鑑賞、なんて生活いいですね~。今回私は、わずか20ドルで入れる立ち見席だったのですが、いつかはあんな紳士淑女のように、ゆっくりオペラを楽しんでみたいものです。

2008年10月 3日 (金)

ボランティア

10/3(金)

今日は会社の行事でボランティアに参加しました。ハーレムにある小学校を訪問し、壁のペンキを塗りなおしたり、ペイントしたりしました。日本人にはあまりなじみのないペンキ塗りですが、やはりアメリカでは家で塗る習慣があるようでクラスメートも手馴れた子が多かったです。私の担当は部屋の天井を白く塗りなおす仕事だったのですが、トモさん、テイラーと三人で完璧に仕上げました。上を向いての仕事だったので、結構しんどかったですが、最後は『Taylor Made』のクオリティだとほめていただきました。

小学校に来て驚いたのは、高学年ともなると生徒達が恐竜のようにでかいんです。廊下で生徒の群れとすれ違うと怖い!また、廊下に張ってある作文を読んでみても、「若くして子供を生むと苦労が多いから気をつけろ!」とか、全然かわいくない・・・。全般的に成長が早いんでしょうか、イメージとのギャップが大きくて少し戸惑いました。もっとも、低学年の子達はかわいかったですけどね。

終了後はMOMAに行きました。金曜夕方はなんとタダ!多少混んでいましたが、それでも日本のことを考えるとぜんぜん問題ない範囲。モネの『水蓮』やピカソの『アヴィニョンの娘』など有名な作品も結構あって楽しめました。ただ、モダンアート(MA)のタイトルどおり、6フロアのうち5フロアが現代美術のコーナー。やっぱり現代美術はよくわからないので最後は少し疲れましたが。面白かったのは建物自体が芸術作品で、色々な角度から写真をとるとそれだけで絵葉書のようになるんです。5Fにあるカフェも素敵でした。テラスからの眺めは、MOMAの近代的な建物と道を挟んだ古い街並みとの対比が妙にマッチしていて、いくら眺めていても飽きないくらいでした。

ということで、今日はボランティアに美術館に、文化活動にいそしんだ一日でした。たまには右脳も使わないといけないですね。

2008年10月 2日 (木)

プリンス

10/2(木)

今日は授業が終わってから会社のレクでミュージカル『South Pacific』を鑑賞してきました。1949年に製作されたこの作品はもともとはMajestic(今はオペラ座の怪人を上演)で上演されていましたが、今は格式高いリンカーンセンターで行われています。当時をよくしる老人層に根強い人気を誇っているようでブロードウェイの集客率ランキングでも2位に位置していました。古典作品らしく、現代のミュージカルよりも舞台に近い印象。結構聞いたことのある曲も多く、この曲はマックのCMで使われていたな~と思い出しながら聞くのがたのしかったです。ストーリーもシンプルですがわかりやすくよかったと思います。

ミュージカルの前に少し時間があったのでクラスメートのエティエンの家に寄ったのですがこれがゴージャス!ウォール街、ゴールドマンサックスの本社ビルのすぐとなりにオフィスビルがあり、上層会がアパートになっています。共用スペースにはバーカウンター、ビリヤード台、大型スクリーンなどがあり、とても素敵な雰囲気です。彼は自費で研修に参加しているのですが、とても稼ぎのない22歳が住める代物ではありませんでした。なんでもおじいちゃんがベネズエラで工場を経営しているとかでかなりのお金持ちのよう。端正な顔立ちも手伝ってみんなで『プリンス』と呼んでいます。

人物ファイル⑤エティエン(ベネズエラ人、男性、22歳)

高校時代から両親ともどもマイアミの別荘に移住(プール、クルーザー付き)しているため、英語堪能。もともとフランス系移民のためフランス語、母国語スペイン語をマスターしており、計3ヶ国語のトリリンガル。「お前は男前だし、日本に来ればたくさんガールフレンドができるよ」と話したのがその気にさせたのか、日本語も積極的に勉強しています。耳がいいんだと思うんですが非常に飲み込みがいい。今日も劇場の住所(65th)は日本語で“六十五”だというと「6+10+5だな?じゃあ・・・」と応用して使っているんです。外国語マスターするこつってあるんですかね?あやかりたいものです。

こっちに来て感じるのは、ラテンアメリカとアメリカ合衆国の距離感は想像以上に近いということです。特にラテン諸国の富裕層にとっては経済基盤は本国で、自分達の生活はアメリカというケースが多そうです。なんだか荘園経営をしている日本の昔の貴族達みたいです。だから自分達のライフプランの中にアメリカでの生活は当たり前のように組み込まれていますし、その点は日本人などとは大きく違うな~と感じました(たとえば日本人であれば国を捨てる、とかそれくらいの覚悟と根気が必要だと思います)。エティエンもプログラム後のことは決まっておらず、「できればこの会社の内定もらいたいな~」くらいの感覚で、”国に帰る”とか、“国を背負って”という感覚とは無縁です。少しわがままなエティエン王子は、生まれ持った魅力と、財力と、ラテンのノリで今日も元気に生きています!

2008年10月 1日 (水)

Congratulations

10/1(水)

人種のるつぼアメリカ合衆国では、当然ながら世界中の宗教がお目にかかれます。

9月30、10月1日はローシュ・ハシュナーといってユダヤ教の新年にあたる行事のため、クラスメートのユダヤ人・ノーマンは会社を休みました。一方、9月30日はイスラム教のラマダンが明ける日でもあります。ですから昨日は、サウジから来ているヤグーが会社にくるとみんなで「Congratulations!」と祝福しました。断食をしていたのは本人の意思なのでおめでとう、というのは適切なのかどうかはわかりませんが、本人もうれしそうにお礼のチョコを配っていたので問題ないんでしょう。とりあえず、気分的には『ノーマン、新年おめでとう!ヤグー、ラマダン明けおめでとう!!』って感じです。

人物ファイル④ヤグー(男性、サウジアラビア人)

ということで、せっかくなのでヤグーの紹介をします。彼は我々と同じく外部からの客としてプログラムに参加しています。

年齢:推定25歳(ただし、見た目は40歳)

容貌:いかにもアラブ系でやや黒い肌。この年にして完全なおやじっぱら。

会社:サウジアラビア中央銀行

階層:上流階級。大学はイギリスで4年過ごしたといっていましたし、おそらく国のエリートなんだと思います。妹も現在ロンドンの大学に通っているようなので、お金持ちであることは間違いなさそうです(お前は王族か?と聞いたんですがそれは否定してました)。

性格:極めて温和。育ちがいいせいか逆にいうと他人への興味があまりないようで完全にニュートラルな存在。たまに見せる穏やかな笑顔はかわいい。

家族:奥さんが一人。法律では四人まで可能なので、今後増えるかも。

備考:ラマダン中はやっぱり大変そうでした。なんせ、日の出から日の入りまで食事はおろか、水すら口にできないので。9月の間中はパートナー(役員)ランチ等、会社の行事が組まれていたのですが、そういった類のものはすべてパスせざるを得なかったようです。もちろん、勉強も待ってくれるわけではないので色々苦労はあったと思います。ふくよかなヤグーが心なしかやつれていくのは少しかわいそうでした。でも、できた人間で僕が目の前で水を飲んでいて「ごめんね」というと、いやな顔するどころかおだやかに「ありがとう!」っていうんです。ほんとできたお坊ちゃんです。はやくえらくなって、オイルマネーを日本に投資してくれ!!

2008年9月30日 (火)

Corporate Finance

9/30(火)

最近すっかり寒いです。気温10度ちょっとの日が続いていて一気に冬に突入した感じです。さて、授業の方もいよいよ第4コーナーに入りました。Corporate Financeは、実際ハーヴァード大ビジネススクールの教材を用いる等、よりMBAに近い内容。具体的には、ケーススタディーとして、ある企業の新事業投資計画を多角的に分析し投資可否判断をするというもの。宿題で与えられる事業計画書を読み込むのがしんどいです。英語の言い回しが難しく(そもそも問題で何を求められているのか理解できない。)、かつ全文読んだところで直接判断に直結する内容が少なく、日本人にとっては非常に効率が悪いです。しかも最後はグループワークで議論して結論を出すのですが、これがまた居心地が悪い。なんせ、問題がわからないんで・・・。みんなも何を答えるべきか~とつぶやいているので、問題文自体が難しいと思うのですが、英語がわからないでわからないのか、問題が難しくてわからないのかがわからないという非常に困難な状況です。

まあ泣いても笑っても最後なんで、やれるだけのことはやって、やれるだけ遊ぼうかと思います~。というわけで、初日はまだ余裕があるだろうと思って、夜はミッチさんとミュージカル『メリー・ポピンズ』見に行ってきました。クラスメートからは「あんた達なんてかわいいの!!」といわれました。トモさんがお子さんと行かれて、とってもよかったといっていたので行ってみました。ディズニーランドに行くとよく聞く曲ですが、考えてみればストーリー知らないな~というのもあって。感想は・・・「おやじ二人で行くにはきつかった」ってことで。きっと子供と一緒にいって子供が大喜びしていたりすると、一緒に感動できるんだろうな~!

2008年9月29日 (月)

Armpit

9/29(月)

Armpitとはわきの下のこと。マンハッタン島のすぐ西に位置するニュージャージー州のあだなはなんとArmpit。なんてかわいそうなあだな・・・。

今日は、いまの会社のデータセンターがあるニュージャージーオフィスの見学にいってきました。電車にのること10分で到着。近代的なビルやマンションが立ち並ぶ町並みはとてもきれい。マンハッタンと違ってくさくないし、全然わきの下じゃないな~と考えていると、このあだなはおそらく地図の形ですね。ニュージャージーに覆いかぶさるようにマンハッタン島が南北に位置していて半島のようになっています。イタリアが“ブーツ”っていわれているのとおなじ発想だと思います。全然センスないですけどね。街の機能としては幕張に近いんじゃないでしょうか。東京駅から地理的には近いけれども県をまたぐと地価が安いので本社のサポート的機能を置くには最適なんでしょう。

オフィスはとてもきれいでしたが、データセンターって見ても決しておもしろいものではありません。コンピューターの箱の列と配線の山を見せられても、なんとも評価しづらくて。見学後は時間も早かったので、海岸沿いの公園からマンハッタン島をしばらくぼーっと眺めてから帰りました。

2008年9月28日 (日)

雨のち晴れ

9/28(日)

朝から体調が悪い。無理を続けてきたせいか、消化システムが崩壊したようです。今日はハーレムにゴスペルを聞きに計画があったので、とりあえず9時過ぎに家を出ました。ふらふら、ふらふら。グラセンから地下鉄にのり、タイムズスクエアで乗り換え。ようやく目的地行きの電車に乗って一休み・・・と思いきや様子がおかしい。いやな予感は的中、当初北上する予定だったのだが列車は右へ直進中!すでに川を渡りクイーンズへ入ってしまっていました。とりあえず電車を降りるが、人はいないわ、くさいわ、落書き多いわで雰囲気最悪。反対ホームへ渡れない駅だったので、一旦地上へ出るがやっぱり雰囲気悪い。両親もいるし、あまり長居したくないのでタクシーを拾うことに。幸いすぐに拾えて無事教会へ到着しました。

ほっとしたのもつかの間、こんどは携帯がなくなっていることに気づく。どうやらクイーンズでどたばたしている間に落としたらしい。教会の列に並んでいる間に雨も降ってくるし、時間になってもなかなか中に入れないし。苦痛に耐えながらも列にならぶこと2時間。ようやく列が進み始め、喜んだ矢先、今度は列の人々が次々に帰り始めました。ミサが始まって一時間、いまさらながら席がないことが告げられたらしい。最悪!!もっと早く教えろよ!!!今日は朝から散々だ。教会に来てこんなに災難にあうなんて悲しい・・・。

仕方がないので先日行った教会に入り、多少なりとも雰囲気を味わった後ハーレムを出ました。今度はアッパーイーストへ移動。アッパーイーストはハーレムとは違ってマンハッタンの金持ち達が住む高級住宅街。タクシーでたった10分、まるで別世界に入ったかのような変化に驚かされます。14:30からフレンチレストラン『Cafe Boulud』で遅いランチ。このお店はフレンチの巨匠・ダニエル=ブリュ氏のお店。ここNYでは世界的に有名なフレンチがひしめきあっていて、かつ東京よりも安い値段で楽しめるようです。このお店もいい時間帯は予約で一杯だったためこの時間になってしまったのですが、ブランチ最後の時間ということで最後は贅沢に貸切状態となりましたし、サービスでデザート一皿つけてくれたし、とってもラッキーでした。

小さな入り口をくぐると、中は20テーブル程度でこじんまりとした感じ。プライベート感があってとても素敵です。50ドルで前菜、メイン、デザートのコースを頼んだのですが、まず食材からして違いました。とろっとろのサーモンや、完全に熟して甘いラズベリーなどこんなものがあるんだ~と純粋に感動。それをさらに見た目、触感で楽しませてくれるシェフの腕もすばらしかったです。少し塩味がききすぎているものもありましたが、全体的には大満足!ワイン入れて100ドル程度だったら絶対安いと思います。可能であれば他の店もいってみたいな。

ということで今日は格差社会を痛感し、また気分的にも午前中と午後ではまるで別の日だったかのように変化の大きい一日でした。明日は両親も帰国するということで、夜はアパートでのんびり。両親がこっちへきてあっという間の一週間でした。最後のゴスペルは残念でしたが、それ以外はなかなか充実したツアーを組めたんじゃないかとおもってます。明日からは新しい科目も始まりますし、心機一転がんばります!

2008年9月27日 (土)

NYツアー

9/27(土)

今日は両親の専属ツアコンとして動き回りました。

朝一、アッパーウェストにある『Good Enough To Eat』というレストランでブランチ。パンケーキやオムレツ等、アメリカの朝ご飯を出してくれるお店として人気。当日も30分ほど並んで店に入りました。店内は混み合っているものの不快感はなく、むしろ活気があるといったほうが適切。ワッフルとBLTオムレツ、アップルパンケーキを注文しましたが、どれも最高。アメリカンコーヒーとともに満喫してきました。家の近くにあれば毎日通うのに・・・。

それから、タクシーに乗ってタイムズスクエア周辺へ。一時間ほど「いかにも」なおみやげもの屋を見て回りました。普段、観光客で混み合っていることもあってなかなか近づかないのですが、いってみるとそれはそれで面白かったです。物価が多少高いですが。

14:00~ミュージカル『Mamma Mia!』鑑賞。これは面白かったです。ABBAの歌ありきで作ったストーリーですが、うまく話しができていました。娘の結婚そっちのけではちゃめちゃにやってしまうおじさん、おばさんの元気なこと!歌よし、ノリよし、演技よしで魅力満点でした。観客も割りと中高年が多く、みんな青春を思い出しているんでしょうか、とっても楽しそう!中年パワー恐るべしです。

その後、五番街を散策してから、9時ころディナーへ。グランドセントラル駅内にある『Michael Jordan's Steak House』へ行きました。その名のとおりステーキ大好きマイケルジョーダンが出している店ですが、これが馬鹿にできないうまさなんです。$41でNew York Steakを頼むと、肉の分厚さが3センチはあろうかというもの。そとはこんがり焦げ目がついているのに中はやわらか。日本の神戸牛等と違って、赤みを赤みとして噛み締めるおいしさというのは、初めての感動でした。これで40ドルは絶対安い!最後は胃袋満タンにして帰宅しました。

おいしいもの食べて、ミュージカル見て、いっぱい買い物して、今日は一観光客として楽しみました。お金があればNYはほんと楽しい!

2008年9月26日 (金)

MODELING研修

水曜日から三日間、パソコンを使ったModeling研修を受けました。

過去の財務諸表をもとに将来の業績予想及び財務分析を行うものです。基本的には現在の仕事と重なる部分が多いのですが、いかんせんパソコン音痴なもので、パソコンスキル向上という面では役に立ちました。

その授業の講師が、東南アジア系の顔立ちで、髪型もいかにもな感じにフロント8:2分けの、後ろはすそだけロング。どうみてもムエタイかセパタクロの選手にしか見えないにいちゃんでした。ただし、経歴だけはすごくてメリル等そうそうたる金融機関をわたり歩いているのです。こっちに来てからというもの人の年齢を当てるのが非常に難しく(みんな若くしてふけているので)、きっとこのにいちゃんもいきがった髪型しているものの、40歳くらいですごい先生なんだろうと羨望のまなざしでみていたら、実は25歳。なんでこんな仕事をやっているのかといえば、証券会社にいたときは週120時間働かされて、ほとほといやになったと日本人らしいことをもらしていました。確かに、20時間×6はきついな~。

いかにアメリカ人が働かないとはいえ、メリルやGSの社員は投資銀行部門以外の人も猛烈に働いているようです。一部の優秀なエリートが死ぬほど働いて、驚くような報酬を得る。これもこの国のひとつの断面なんですね。でも、投資銀行のビジネスモデルが壊れてしまったこれからはどうなるんでしょう?報酬もらえなくても、今までのように働くんでしょうか?いや、その前に首になるか、会社がなくなるか、かな?どちらにせよ激しい国ですね。

先生を見ていたら・・・というわけではありませんが、DINNERは両親とThai料理屋に行きました。ここ、私は2度目なんですが、グリーンカレーを中心にどれを食べてもとってもおいしく、かつ安いんです。東京も同じですが、さすが人種のるつぼ、ここNYでは世界中の料理がおいしく食べられるのも魅力のひとつです。

その後、ブルーノートへJAZZを聞きにいきました。フルーツとマティーニと、そしてJAZZ。いつもながら至福のひと時をすごしました。ようやく終わったウィークデイ!週末はツアコン(両親の)としてがんばるぞ。

2008年9月25日 (木)

MAX!!

人物ファイル③ マックス(24歳、男性、ドイツ人とアメリカ人のハーフ)

今日は、授業が終わってから、マックス、ノーマン、エティエンと飲みに行きました。2次会ではマックスの奥さんとその同僚達(Mスタンレー)と合流し楽しいひと時を過ごせました。アメリカ人はなぜか、つまみを一品も注文しないまま、ひたすらビールを飲み続けます!おかげで、腹ペコで酔いどれという不思議な状況にしばしば陥ります。これ、絶対からだに悪いと思うんですが。

さて、今日はそのメンバーの中から主催者Mr.MAXの紹介。

MAX。辞書でひくと・・・

MAX=maximum 

【名】

  1. 最大限、最高限度
  2. 〔記録された〕最大[最高]値[レベル]
  3. 《数学》〔集合内の〕最大値
  4. 《数学》〔関数の定義域内の〕極大値
  5. 《天文》〔変光星の〕極大時◆最大光度の持続期間。
  6. 《天文》〔変光星の〕最大光度最大(限)の、

【形】最高の、極大の、上限の

あたり前ですが、なんて大胆な名前!両親から

『ゲルマン魂の継承者』たることを望まれたのか、それとも『アメリカンドリームの体現者』となることを期待されたのかはわかりませんが、誕生から24年、奥さんと家庭菜園をこよなく愛するとっちゃんボウやに成長しました。確かに少しあどけないですが、男前で優秀で、人の気持ちをよく汲み取れる(我々日本人のジャングリッシュを理解できる)素敵な青年です。

日本人から見ればとってもいい男なんですが、不思議なことにクラスメート(特に新入社員女子)からはあまり人気がないようです。アメリカ人の中でもMAXに部類するオーバーリアクションが問題なのか、それとも時に役員に役員にかみつく尊大さが原因なのかわかりませんが。ただ、本人にとってはそんなことはどこ吹く風。いつも往年のテニスプレーヤー・セレシュを3倍膨らませたような奥さんを見せびらかせては『俺は最高に幸せな男だぜ!』とうれしそうに話してくれます。いつか、パートナー(役員みたいなもの)になることを夢見る24歳は今日もMAXパワーで走り続けます!がんばれMAX。そしていつか俺を雇ってくれ!

2008年9月23日 (火)

プレゼン研修

9/23(火)

月、火と二日間プレゼン研修がありました。昨日の朝一でDVDに自己紹介プレゼンを記録したところからスタート。様々な題目、様々なメンバー、シチュエーションで再三プレゼンをさせられ、直され、アドバイスされての連続。けっこうしんどかったです。立ち姿から視線の置き方、ハンドジェスチャーの使い方、話のテンポ、抑揚、果ては質問に対する回答の仕方まで、想像以上に細かく指示されたことには驚きました。アメリカ人は誰もが自然にプレゼン上手で産まれてくる訳ではなく、こうして一人前になっていくんですね。考えてみれば、私自身日本でもこういった指導を受けたことはなく、とてもいい勉強になりました。もっとも、日米間の文化の差は大きく、このまま日本語でやったら間違いなく嫌われ者になるな~というものでしたが。

二日目の後半には疲れと飽きからついに壊れてしまい、悪がきノーマン、みっちさん、私でふざけて遊んでました。『質問があるんですが、ミスター?』『Hey,Micchi!』『その資料の地図にはイギリスが描かれていないと思うんですが?』『なんてすばらしい質問だ、みっち!!氷河時代、それは大陸と地続きだったんだ!』てな具合に・・・。ちなみにプレゼンのお題は、“年金運用における不動産投資の効用”でした。

話は変わりますが、夜は両親とともにミュージカル「The Phantom of the opera」を鑑賞しました。昔1度見たことがあるんですが、やっぱりすばらしい作品でした。めまぐるしく舞台が変わるなか、ほとんどセリフがなく音楽だけで魅せるある種の強引さは、よほどの腕力(自力)がないとできない技だと思います。クライマックスシーンではとても切ない気持ちになってしまい、終わった瞬間は感動で一杯でした。また見に行こうかな。シカゴももう一回見たいし、他のミュージカルも見たいし、NYにいるとほんと金使います。

2008年9月22日 (月)

家族会

9/22(月)

いまのクラスには私含めて3人の日本人がいるのですが、たまたま3人の家族が一時にNYにいることが判明したため家族会を開くことになりました。3人+ともさんの奥さん、息子さん、ミッチさんの奥さん、私の両親を合わせて合計8名。会社も違えば、年齢も違う人々がNYのレストランで食事をするというのはなかなかないことだと思います。“外国にいる”という共通の話題があることも大きいと思いますが、お互いアメリカでの失敗談やNYの話題で盛り上がりとても楽しいひと時を過ごすことができました。みなさん流石、ご家族含めてとても素敵な方たちなんです。驚いたのはともさんの息子さんがまだ幼稚園入る前なんですが、『Nice to meet you,too.』を自己流にアレンジして『Nice to meet you,one(two→one)』って挨拶することです。ほんと頭いい子だな~と感心しました。将来楽しみです!

普段会社では3人で話すことはあっても日本人だけの集団の中で話す機会はなかなかありません。久々に思う存分日本語を堪能し、ストレス解消できました。おかげで次の日は英語がしっくりこなくて、うまくしゃべれなかったことには自分でもびっくりしましたけど。

2008年9月20日 (土)

人生の轍

9/20(土)

昨日ボストンに到着し久々の家族再会。

本日は朝から父、従兄弟、そして従兄弟の恩人と私というパーティでゴルフに行ってきました。BRAE BURNというゴルフコースは1897年にオープンした老舗コース(ちなみに日本で一番古いコースは1904年に神戸でできたらしいです)で、昔はUSオープンなども開催されたようです。当ゴルフコースがあるWest Newtonという街はボストン市内からは少し離れたところにあり、割と裕福な人の街。レッドソックスの選手の多くもここに住んでいるようです。街は芝生や街路樹の緑に覆われとても落ち着いた雰囲気で、日本でいえば軽井沢に近いかもしれません。そんな街の中に違和感なくあるこのゴルフ場のロケーションは老舗ならでは。もちろんロケーションだけでなく落ち着いたクラブハウスの雰囲気や、クラブハウスの目の前から打ち下ろす1Hの景観などはどれもすばらしく、それだけで私は魅了されてしまいました。アメリカの裕福な人々はこんなに落ち着いた街に住み、時に近所のゴルフコースで緑とふれあい、またある時には自家用飛行機にのり大空を滑空し、はたまたクルージングで海を満喫したりと、贅沢に時間を過ごしているんだと感じることができました。国も色々、人生色々です。

ゴルフはハーフでさくっと終了、クラブハウスで昼食をとって一旦解散。夜はディナーパーティが従兄弟の家で予定されていたので買出しに付き合ってから帰宅しました。シャワーを浴びてのんびりしているとまもなくゲスト(先ほどゴルフをご一緒した方のファミリーと従兄弟の友人)が到着。

本日はイタリアデー(従兄弟が先週イタリアに旅行に行っていたので)!カンツォーネを聞きながらイタリアワインで乾杯。アペタイザーは従兄弟お手製のスペアリブ(おもいっきりアメリカですが)でしたがこれが絶品!!(自分の中では暫定世界ランク一位に認定)。それからイタリア料理でディナースタート。大統領選の話や金融クラッシュの話に始まり、ペイトリオッツ(アメフト)の話まで多種多様。まさにアメリカ人(特にボストン)の心の中身を覗かせてもらった感じで非常に得るところの大きなディナーになりました。私が感心したのは、ファミリーの中に11歳と8歳のお子さんがいるのですが、父親がきっちりと質問をふって意見を求めていたことです。『今回、トム=ブレディ(ペイトリオッツのスター・クォーターバック)がシーズン早々に長期離脱することになったわけだが、ペイトリオッツはどうするべきだと思う?補強するべきか、若手を育てるべきか?』と大人の輪の中でそれが求められるわけです。あまりのシリアスさに、話の流れがわからない母親は大統領選の話題が続いていると思っていた位です。アメリカに来て感じることは、どの人も自分の意見を持っていて、自分の立ち位置を明確にできる(敢えて“できる”としました)ことです。話をしていても非常にクリアですし、プレゼンをさせても自分という軸を持っていてそれがぶれません。こうして子供のうちから英才教育をうけ、自然と身に着けていくものなんですね。

パーティーは11時ころお開き。朝のゴルフに始まり、とても刺激的な一日になりました。先ほど人生色々と書きましたが、ほんと人生って不思議なものです。父親とボストンでゴルフをしていること自体不思議な感じでしたが、その他のメンバーも従兄弟の旦那と従兄弟の恩人、ということはよくよく考えてみると人生が交差するはずのない他人同士だったわけです。従兄弟がアメリカに行き、そこで色々な苦労を重ねた末に、根を下ろし様々な人と出会った。そのまた従兄弟(私)が偶然にもNYに駐在することになり、今日というすばらしい一日が実現しました。そう考えると日々出会う人、様々な出来事が奇跡のようなもののように思えるのです。人生というものは『奇跡』という偶然の連続でできているのか、それとも『縁』という必然の連続でできているのかはわかりませんが、いずれにせよ自分の力を超えた大きなところで左右されているものだと感じます。日々様々なことに感謝する気持ちを忘れることなく、精一杯生きていけたらと改めて感じさせられた秋の休日でした。

2008年9月19日 (金)

どらくえ

9/19(金)

試験終了です。けっこう凹んでます。俺のばか~。今日は帰ってふて寝しました。今、ボストン行きのバスの中ですが、ともさんから半分無理やり渡された(絶対やらないと心に誓っていた)禁断の『ドラクエⅣ』(ニンテンドーDS)に手を伸ばしてしまいました。オープニングのテーマソングが流れてくると、そのノスタルジックなメロディーは僕の疲れた心に響き渡り、もはや抵抗することはできませんでした。アメリカで小学校5年生の時と同じ遊びをするとは情けない・・・。

そういえば今日試験終了後、大学時代の友人R香さんとランチしました。旦那さんが隣のビルで研修中とのことでNYに遊びに来ていました。10年前にはNYで会うなんて想像もできなかったけど不思議な感じでした。でも、勉強して、野球見て、お酒飲んで、ゲーム(どらくえ)までして…。案外やってることは10年前と変わってない。成長してないな俺。

やっぱり自虐的な今日の僕でした。

雑感

9/18(木)

試験前夜。いつもどおり、追い込み試験勉強に追われております。最近感じることは、度重なる試験や、まあそれなりにいやなこととはあるわけですが、そういったものに鈍感になってきたというか、あせりやプレッシャーを感じないように本能的にしているというか。もちろんこうして勉強に費やす時間はかわらないですし、つらいんですけどなんか変化が出てきたな~と感じるこのごろです。

プログラムも中盤を過ぎて、過去を振り返り、そして残りの時間を数えるように心のどこかでなってきているのかもしれません。大きな希望を持ってやってきたNYで、今までに出来たこと、出来なかったこと。そしてこれからやるべきこと、そしてやれないかもしれないこと。ここにいると自分の周りだけ忙しくて、遠い日本の時間軸とは違うような感覚に襲われます。なんか竜宮城にいるみたいですね。でも、日本でも時は刻一刻と経過していて、確実に変化は起きているわけです。先日の金融危機をきっかけに、忘れていた日本の仕事(日本での日常)を身近に感じるようになったことや、親しい友人からの近況報告(子供が生まれたことや職場がなくなることなど・・・)をもらうたびに色々と刺激を受けます。目の前のことに全力でぶつかっていくだけの毎日には終わりがあって、自分も何かを決断していかなければならない時が近づいていることを意識させられます(具体的に何があるわけではないですが)。

話は変わりますが、今日両親がアメリカに来ました。従兄弟のいるボストンに到着し、NYには日曜日に自分と一緒にきます。途中、飛行機の遅れがあったものの、無事についたみたいでよかったです。ボストンからもらった電話の向こう側で、普段より幾分トーンの高い両親の声を聞いてなんだかうれしい気持ちになりました。旅行中に色々親孝行できればと思います。明日、テスト終了後、バスでボストンへ向かいます。

2008年9月18日 (木)

さよならYANKEE STADIUM

9/17(水)

今日はヤンキースタジアムにお別れ(観戦)をしてきました。

ヤンキースタジアムは1923年に建設され、今年でその役目を終えることになっています。“(ベーブ)ルースの家”と呼ばれるこの球場で、スーパースター“ベーブ・ルース”は生まれ、そして伝説となりました。彼の出現によりメジャーリーグは黎明期から発展期を迎えることとなり、ついには『ベースボールはアメリカ人の魂』と呼ばれるまでに至ったわけです。そういった面ではここは野球の聖地といっても過言ではありません。その長い歴史の中には様々な出来事、記録、エピソードが残っています。ルーゲーリックが生前最後の感動的スピーチをしたのも、ジョーディマジオが空前絶後の連続試合安打記録を打ち立てたのも、レジージャクソンが伝説のWシリーズ3打席連続初級ホームランをやってのけたのもみんなここヤンキースタジアムです。身近なところでは、松井のメジャーリーグ初打席満塁ホームラン、伊良部が5万人の観衆に向かってつばを吐きかけて大ブーイングを浴びたのもここです。911の際には市民の心の拠りどころとして機能したといわれおり、その存在はときに野球という枠を越え、NYを見守ってきました。

まもなくシーズンが終わり、世界一の座を目指してプレーオフが始まります。本来であれば(NY市民にとっては)いよいよベースボールが佳境を向かえ盛り上がる時期なのですが、今年に限ってはヤンキースのプレーオフ進出が絶望的な状況です。実に13年ぶりの出来事にすっかりNYも盛り下がっています。愛するヤンキースタジアムとこんな形でお別れ(擬人化されることが多いです。それほど愛されているんですね。)するのはいたたまれないとか、いかに最後の時を迎えるかという報道が大勢です。そんなチーム状況にもかかわらずチケットはプレミア化して容易に入手できません。みんなスタジアムに野球を楽しみに行くというよりは、余命少ない球場にお別れを言いにいくんだと思います。

私自身3度目の観戦です。10年前はじめて訪れたときの興奮や、当時ワールドシリーズ3連覇を果たしていてまさに王者としての風格を漂わせていたヤンキースの姿を思い出すと、時の移り変わりを感じ、寂しい気持ちになりました(くしくも先発は黄金時代の生き残りペティットでした)。試合は強豪Wソックスに力負け(2-6)で完敗でしたが、ジーターがゲーリックの持っていたヤンキースタジアム歴代安打記録を樹立(12691270)するなど最後の観戦にふさわしいものが見られてとてもよかったです。報道の中で『記録とは塗りかえれられるためにあるものだが、この記録は永久に塗りかえられることはない』と話していたことがとても印象的でした。

来年からはNew Yankee Stadiumに移ります。すぐとなりでもう完成間近ですが、残念ながら私はしばらくお目にかかることはなさそうです。いつの日にか、憎らしいほど強いヤンキース(基本的にはアンチヤンキースですから。)を新球場で観戦できる日を楽しみにしたいと思います。

2008年9月16日 (火)

Wall Street CRISIS

9/15(月)

本日は歴史的な日となりました。

リーマンブラザーズが破綻に追い込まれ、メリルリンチがバンク・オブ・アメリカに買収されました。さらにはAIGの救済策をめぐってぎりぎりの話し合いが続けられています。これを受けて米国株は5%の下落(史上7番目の下落幅)、為替は一気にドル安へ振れました。金融不安へと発展するのか、瀬戸際で食い止められるのか予断を許さない状況が続いており、ニュース、新聞でもトップでこの事件を取り上げ緊急特集を組んでいます。ただいま、夜8時、日本時間で朝9時ですが、たったいま開いた日本市場の動向を速報で次々と伝えています。

リーマンブラザーズは投資銀行業界4位、160年の歴史を誇る老舗銀行です。メリルリンチも三大投資銀行に数えられるビッグプレイヤーですし、AIGは保険業界で米国No1。どの企業も世界恐慌を生き延びてきたアメリカを代表する金融企業です。今回の事件はここ一年続いてきたサブプライム問題がついに米国金融の中枢に到達したことを意味します。もしAIGまでいくようなことになれば金融問題が個人の家計を直撃することになり、いよいよ経済への影響は深刻なものとなるでしょう。

ただし、今日の街の様子は意外なほどいつもと変わりありませんでした。現在WALL STREETの中心には、いずれの企業もオフィスを構えていないこともあるかもしれませんが、みんなことの成り行きを静観しているということでしょうか。私もいつもと同じように出社し、いつもと同じように帰ってきました。FRBのビルでは世界経済の行く末を決定するような話し合いが続けられているこの瞬間に、隣のビルの地下室でこつこつと会計の勉強をしている自分の何と虚しいことでしょう。焦りと疎外感、そして今この瞬間にマーケットにいないことに対する若干の安心感とが折り重なった複雑な気持ちで一杯でした。

うちの会社のチームはどうなっているのだろう?メリルやリーマンに勤める知人はどうなってしまうのか?いろいろな思いが頭を駆け巡ります。とりあえず今夜はテレビをつけたまま、金曜の試験勉強をしようと思います。

2008年9月15日 (月)

ハーレム&ゴスペル

9/14(日)

今日はミッチさんとゴスペルに行ってきました。ゴスペルは黒人教会(プロテスタント)でミサの中で歌われる賛美歌です。なので大抵は日曜日(教会によって多少異なりますが)午前中に行われます。場所も黒人教会ということでマンハッタン北部のハーレムや島の向こうのブルックリンなどわりと所得の低い層が住んでいるエリアが中心です。

今日は地下鉄2or3ラインに乗って20分、マンハッタン島の北部のハーレムに行ってきました。135THで降りると観光客の波が・・・。まるでどこかでスポーツの試合があるかのよう。教会なので割りと正装していくのが本来の姿らしいですけど、短パン、Tシャツ、スニーカー等彼らはまったくお構いなし。教会内も写真撮影は禁止となっているにもかかわらずフラッシュをたく輩も大勢目につきました。ミサが始まる前に教会の人が出てきて諸注意事項について話していたのですが、「写真撮影禁止」とはなしている人自身を撮影している客すらいて、マナーの悪さというか、馬鹿にしているというか。でも教会の方も観光客を当てにしているようなところもあって、それはそれでいいのかもしれませんね。

今回訪れた教会はマザー・アフリカン・メソジスト・エビスコバル・ザイオン教会というところ。2階席までついていて、全部で500人位は収容できる大きな教会でした。大きなパイプオルガンがついていて聖歌隊は二階のバルコニーから見下ろすように歌います。歌はそれなりに迫力があって十分楽しめました。驚いたのは牧師の説教ですが、時には怒鳴り散らすかのごとく現世の不確実性を嘆き、そして迷える子羊ちゃんをやさしげに励まし、まるで革命家のよう。最後には自らアカペラを披露してと、牧師になるにも様々な才能が求められるんですね。ヨーロッパの教会や日本の寺院で出会う、物静かで思慮深い牧師との違いに少々戸惑いました。そういえば、アメリカではかつて黒人牧師が政治指導者として活躍していましたが、そうした歴史も今日の説教を見れば納得できました。日本のお坊さんとは根本的に違うんですね。最後は少々の募金をしておしまい。なかなか面白い経験でした。今回の教会は観光客が大半でしたが、地元の信者しかいない教会もあるようで違いを見るのも面白いようです。次回はそちらもチャレンジしてみたいと思います。

ミサの後は天気がよかったこともあってハーレムを少々探索。ここでは3階建てくらいの建物が大半で空が広いことにまず驚きました。途中、通りすがりの黒人に悪口を言われたりはありましたが、昼間に複数で歩いていればそれほど危険な感じはありませんでした。黒人民芸のマーケットなどを見て回って帰ってきました。

今週末はいよいよキャッシュのファイナル試験!気合入れてがんばります。

2008年9月13日 (土)

まままままぎー

人物ファイル②:マーガレット(通称:マギー) 新卒、白人女性

今日、会社でちょっとした事件がありました。先日の試験結果が返されたのですが、マギーが席を立って出て行ってから2時間戻ってきません。休み時間にパソコンルームに入るとそこで号泣しているマギーを見つけました。さすがにびびりました。というか号泣している人物を見るのが10年以上なかったので、ある種ど根性を見せられて感動すら覚えました。マギーは結局、昼休み後にも泣いていたみたいで午後の授業も遅刻して戻ってきました。(ほんとは自分も点数が悪くて泣きたい気持ちでしたが・・・)。

この人物、キャラクターの濃さで言えばクラス随一。先日のプレゼンでも僕を散々苦しめた女です。マギーのような人間はこの世に二人といないような気もしますが、一方で“純潔アメリカ人”ともいえる位アメリカ的要素を多分に持ち合わせた人物でもあります。

マギーは、

1、自己紹介の時から、マーガレットでなく、マギーと呼べと強要してきます。机の名札は本名に×でマギーと修正してあります。プレゼン資料やテスト用紙にもなぜか『マギー』と書きます。それでいいのか?この国は!

2、いつでもハイパーテンション。「How are you?」と話しかけると「Fantastic!!」と答えます。日常がファンタジーって何だ?

3、いつでもはだしです。教室でも、会社のロビーでも、飲み屋でも。おかげで足の裏は真っ黒です。

4、不潔です。食堂でも、教室でもジュースをこぼすわ、食いかすを撒き散らすわ。おかげでマギーのノートは変色しています。

5、たぶん日本で芸人になれます。何が面白いってただしゃべっている姿を見ているだけで笑えます。あまりの高速英語で言っていることはさっぱりわかりませんが、そのパフォーマンスと表情、回りの空気を無視したマシンガントークは絶品。こちらが腹抱えて笑っていると、マギーも自分のトークが冴えていると勘違いして、さらにヒートアップ。散々しゃべらせたあとに、『実はマギーの言ってること1%もわかんないんだよね。』とからかうのが最近の楽しみです。

6、酔っ払うと『お前はライアビリティー(負債)』だとずけずけと言ってのけます。けっこうむかつきます。マギーこそ居残り補修を受けていたくせに。

7、だれにも止められない。僕が2週間かけてつくったプレゼン資料をものの15分で粉々にし、マギー色に染め上げたその実行力と他人の顔色を一ミリも汲み取れないある種の鈍感さは驚嘆に値する。

8、プレゼンの達人!どっからくるのかその自信。たいした内容でなくともマギーにかかればそれはりっぱな作品となる。

まだまだ話題が尽きない、このまったく理解不能な人物は、実はけっこういい奴でもあります。他人に迷惑をかけてもそこには一片の悪意も存在しません。それだけになんとなく許せてまうところがまたやっかいでもあります。彼女の辞書に「自重」という言葉はなく、好きなときに、好きなように振舞うだけ。

『世界はマギーのためにある!』(少なくとも彼女の中では、きっとそう・・・)

2008年9月12日 (金)

9・11

9/11(木)

今日は『セプテンバー・イレブン』です。ご存知のとおり今から7年前、午前8時40分、WTCに旅客機が突入したのをきっかけに、同時多発テロが起きた日です。当時、私は高松に住んでいて、夜飲んでいたときに事件発生を耳にしたことを覚えています。遠く離れた日本の一地方都市で聞いた私にとっては、それはあまりにも現実離れしていて、本当に遠くの世界で起きた?であろう、下手をしたらフィクションとの区別もつかないくらい、実感のない出来事でした。

早いものであれから7年たちますが、ここNYにおいてはいまだ色あせない記憶として残っています。なんせ、ウォール街の真ん中に野球場大の穴がぽっかりあいたままなのですから。すでに次の計画は決まっていて工事は始まっていますが、この穴は簡単には埋まらないようです。この事件以降、ランドスケープもすっかり変わってしまいました。テレビでNYの映像が映っても、そこには必ずWTCが写っていてNYの象徴としてカメラマンを魅了していたことが伺われます。逆に今、ブルックリンやミッドタウンからロウアーマンハッタン(WTCのあった界隈)を眺めても、どこか特徴のない、そして心なしか活気のないビル群が目に入ってくるだけで、カメラのシャッターを押したいという欲求があまり沸いてこないんです。事件以降、ビジネスの中心はロウアーマンハッタンからミッドタウンへ写っていると聞きますし、より大きな視点で見れば「アメリカ繁栄の時代が転換点を向かえた象徴的な出来事」、と後世言われるのかもな~、などと考えたりしながら今日は出勤しました。(ちなみに20世紀初頭、ヴィクトリア女王が亡くなった出来事はイギリス繁栄(日の沈まない帝国)の時代が終焉を迎えたポイントとしてよく言われてます。その後の20世紀の移り変わり(第一、二次大戦とその後のイギリス国力の停滞)を見ればそれも納得できますよね。ちなみに21世紀に入って大英帝国は復活してますけど。)

私のオフィスはグラウンド0から目と鼻の先、50メートル位のところにあります。あの事件に巻き込まれずによく生き残ったな~と思うくらい。数日前からセレモニーの準備やポリスの警備が厳しくなっていましたが、今日になると完全封鎖していてパスのない人間は現地まで入れなくなっていました。セレモニーはすぐ隣の広場で行われました。朝8:40事件発生に合わせて黙祷がささげられ、その後、聖歌や市長のスピーチ、犠牲者の名前読み上げ・・・半日くらいはいろいろ行われたようです。とにかくすごい人ごみで、私は遠めからセレモニーを見ることもできませんでした。広場のすぐとなりにある当社のビルの敷地では大勢のデモや宗教団体、インタビューのカメラマンなどでごった返していて会社にたどりつくのが大変でした。その他、旗はすべて半旗でしたし、朝授業の前にみんなで黙祷したりと日本の終戦記念日と同じような流れでした。ただし、クラスメートは意識的にか事件の話はしませんし、逆に軽く話せない雰囲気が事件が未だ風化していないことを感じさせました。

2008年9月11日 (木)

試験終了、小休止。

試験が終わりました!疲れました~。丸々4時間、論述も多かったし、そもそも問題文の中でまったく正反対の意味でも取れるような英語が使われていたりと、結構タフでした。午後もフルに授業があったのですが、ほぼ思考停止。英語を聞き取ろうと力めば力む程頭が固まって、気づいたら夢の世界へ・・・。

帰りは軽く街をぶらついてきました。いつも乗っている地下鉄を途中下車したところにユニオンスクエアという若者向けの街があります。NY大学の校舎が点在しており、またこの大学にはキャンパスがないため学生が街に溢れ24時間にぎわっています。雰囲気で言えば(渋谷+原宿+高田馬場)÷3くらい?今日はそのユニオンスクエアに隣接するウェストヴィレッジにある、フレンチフライ専門店『ポムデフリュイ』(だったかな?フランス語でまさしくフライドポテトですが)に行ってきました。

メニューは大・中・小の区別だけ。ソースは多数あって選ぶのが大変ですが、どれもとってもおいしくて、ドレッシングとして売り出してほしいくらい。注文を頼むと目の前でフライをして、それを花束の包装状の紙に盛り付けて渡してくれます。店の奥には10人程度が腰掛けられる席があるのですが、机に○い穴が開いていてここに先ほどのポテトを差し込んで食べます。まさにポテト専門店!ポテトは大粒のジャガイモをざっくり切って揚げているので、衣の中はゆでたてのジャガイモを頬張っているかのようで食べ応え十分。ほくほくというよりはとろとろしていて、少しへんかもしれませんがよせ豆腐を食べているような錯覚を覚えました。いもを切って揚げているだけなのに、ファーストフードのフレンチフライとは随分違うものだな~と感心しました。ステーキもそうですが、やはり本場だけあっておいしいものはほんとおいしいですね。

その後ユニオンスクエアへ歩いて少し買い物をし、家まで30分くらい歩いて帰ってきました。ニューヨークはそれぞれの街がそれぞれの顔を持っていて、見て歩くだけでとても楽しいです。突然コリアンタウンに突入したり、インド料理だらけの一角を発見したり。一方で、地下鉄は時間も不規則な上、結構汚かったり、蒸し暑かったり。変な人物も多いのであまり好きではありません。そのため、時間が許すのであれば、1時間、2時間平気で歩いて移動しています。体にもいいですし。おかげでこっちに来て随分体重も絞れてきましたよ。『やせて帰ってきたらすしをおごってもらう』約束を会社の友人としてるので、楽しみです!

2008年9月 9日 (火)

Hard Working Boy

アメリカ人についての考察①(あくまでも主観なので、間違っていることもあると思いますがご容赦ください)

アメリカ人はあまり仕事をしませんな。先日、一日のスケジュールが終わったので、残って宿題をやっていたところ、21歳のルーシーというクラスメートに『Hey!!Hard Working Boy!!』と驚いた声で呼ばれました。まだ、6時を回ったばかりで、しかも空はサマータイムもあって昼間同様明るいのに・・・。しかも、30目前にして21の小娘にボーイってよばれるって・・・。

確かに、他の社員も5時を過ぎるとぞくぞく帰っていくし、7時も過ぎればほとんどだれもいません。みんな家族との大切な時間を過ごしたり、プライベートの時間を満喫しています。それで、翌朝には元気満点で会社にやってきます。日本人からみれば遊んでばっかりに見えますが、でも実際日本の企業は生産性という意味でアメリカの企業に大きく後れを取っているわけですし、日本のやり方にも問題があるんでしょう。

終戦以降、日本の人口が増加するなかで、『ボリューム×効率=結果』の中のボリュームをあげていくことによって結果を出してきた日本ですが、そろそろ本格的な曲がり角を迎えているように思います。人口が減少していくなかで、国力を維持していくにはどうしても『効率』をあげざるを得なくなります。休養をとったり、さまざまな経験をしたり、頭の柔軟性や瞬発力を養うことが大切になると思います。一方で、潜在労働力としては女性の活用も不可避になるでしょう。そうすると、どうしても早朝から深夜までというビジネススタイルは維持できなくなるでしょうし、一方で夫も家庭に割く時間を増やさざるを得なくなると思います。考えてみれば、夫が死ぬほど働いて1.5労働単位だとして、二人で1+1=2の方が社会全体としての労働力は高まるわけですし。アメリカ人を見ているとその辺が実に上手。なにより人生楽しそうです!

現在午前1時前。皮肉な話ですが、ハードワーキングボーイはさっき帰ってきて、これからまた勉強します。明後日試験なもので・・・。頭悪いな~俺。頭悪いのは仕方ないので、とりあえず大和魂で2日間乗り切ります。

2008年9月 7日 (日)

HANNA直撃

9/6(土)

今日は朝から曇り空でしたが、午後になるとハリケーンHANNAの影響から大雨となりました。普段ごみなどがあふれ汚いNYの街をきれいに洗い流してくれるような感じで部屋から眺めている分には良かったのですが、一歩外に出ると悲惨。ほとんど人通りのない街をずぶぬれになって歩いていました。

今日はどこにいったのかというと、『WICKED』というミュージカルを見てきました。内容はオズの魔法使いのサブストーリーということでハリケーンの日には丁度よいかなと(あんま深く考えないでください)。具体的にいうとオズの魔法使いに出てくる西の悪い魔女(エルファバ)と南のいい魔女(グリンダ)が主人公で、オズ~にいたる前段階のストーリーということで、まあスターウォーズのエピソード1,2,3見たいなもの?前評判どおり大胆なストーリー展開、演出、舞台装置、役者の演技力(歌唱力)などとても充実した内容。最後はスタンディングォベーション(ミュージカルにいって初めて見ました)でとても盛り上がっていました。個人的にはグリンダのキャラクター設定や細かい演出がお気に入り。ただ、よくも悪くも大衆的(ハリウッド映画のよう)な感じがして、満足度は高いですが引き込まれる感覚は小さかったかなと思います。日本でもUSJ?や劇団四季でやっていますよね。もし行かれたかたいらしたら日米の違いや感想なんか聞いてみたいです。

明日は、メッツの首位攻防戦ダブルヘッダー、USOPEN準決勝、12年続いたミュージカル『レント』の千秋楽と垂涎もののイベント目白押し!ですが、、、来週の試験に備えて引きこもりで勉強する予定。ああ、どれも見に行きたい(涙)

2008年9月 6日 (土)

ニッポン

9/5(金)

今日はNYの日本について。

最近の無理がたたったのか、それともキャッシュの授業に萎縮したのか、朝から体調が優れない。今日は自習の日だったこともあり11時ころ出社し、早速昼食へ。会社から程近くに『伊勢』という和食レストランへ向かいました。ここはウォールストリートで働く日本人御用達のお店。最近NYでは健康ブームということもあり、やたら日本食レストランやすし屋が目につきます。ただし、大半のお店は外人が勝手にやっているすし屋のためはっきりいって日本食であって日本食でないものばかり。日本の文化がカスタマイズされて世界に根付いていくということは必ずしも悪いことではないと思いますが、避難所的に使いたい日本人にとっては利用価値はありません。この伊勢という店は特別おいしいわけではありませんが、大半が日本人従業員で“まさに日本の味”を提供してくれるという意味では安心していける店。金曜日は、あまったすしねたを盛り付けたスペシャルメニューデーということもありトモさんとともにいってきました。

夕刻、全身の疲れからいよいよ体調が悪く、頭がむくんで働きません。勉強していてもらちがあかないので、トモさんに紹介してもらった『医堂』という日本人がやっているマッサージ屋にいってきました。エレベーターが開くとそこは日本。店内ははだし、浴衣が基本。ゆっくりサウナに入って、マッサージをして、最後はシャワーを浴びて帰ってきました。こっちにきてからというもの湯船につかってないので、ゆっくり体を温めることが久しぶりにできとても心地よかったです。もちろんマッサージの方も、やっぱり日本語で細かく指定できるというのは大きくて、とても気持ちいい。最後は延長までしてすっかり金を使ってしまいました。

その後、いまお世話になっている会社の社員のノリさん、ミッチさん、トモさんが飲んでいるお店『力』に合流。ここも100%日本の居酒屋で、店に入るとまるで魚民にでもきたかのよう。結構繁盛していて、他のお客さんも楽しそうに日本語をしゃべっています。私は短期なのもあってか日本への郷愁というものはありませんが(風呂には入りたいですが。)、やっぱり長期で滞在している人は結構日本が恋しいみたいです。末期症状の人は空に飛んでいる飛行機を見て、あの飛行機は日本行きなのだろうか・・・とつぶやいてしまうとか。また、自分も先週のプレゼンやバンキングゲームなどチームプレーが求められる局面で、アメリカ人と仕事をしていくことの苦労を味わいましたから、ましてや実社会で外国人とビジネスをしている人の苦労、ストレスはやはり大きいのだろうなと思いました。というわけで今日はまさに日本づくめの『ジャパンデー』でした。これ以外にも病院、学校、本屋、スーパー、スナック、バー等々。ここNYでは日本のものは基本何でも手に入ります。ただし、値段は1.2~1.5倍払えばですが。

それでもバブル絶頂期に比べるとずいぶん日本人の人口は減っているようで、それにあわせて出店していた店もずいぶん撤退したらしいです。市内の看板なども日本語よりも中国語や韓国語がよく目につきますし、NYにいても日本の存在感の相対的低下というのを感じます。ただし、日本が不況にあえいだ時代も終わりましたし、米国が好景気に沸いた時代も曲がり角を迎えています。この2ヶ月の間にも、東京海上、MUFGが米国の金融会社を買収しましたし、つい先日にもリーマンブラザーズをMUFGが買収するのではないかという観測も話題になっていました。日本の会社はまだまだ体力もあるし、社員の方もみなさん優秀です。このチャンスを活かしてどんどん世界に打って出てほしいと思います。がんばれ、ニッポン!

2008年9月 5日 (金)

US OPEN

今日はUS OPENに行ってきました。初めてのプロテニス観戦ということで前から楽しみにしていた行事です(会社のプログラムの一部です)。男子順々決勝で世界ランク3位ジョコヴィッチVS同9位地元ロディック。順々決勝にしては結構いい組み合わせでラッキーでした。欲を言えばフェデラー、ナダルもしくは錦織見たかったですけど。

試合会場はグランドセントラル駅(日本でいえば東京駅)から7番Lineで20分。メッツの本拠地Shea Stadiumと同じ駅です。昔、万博が開催された広大な跡地を公園として使用しており、その一角に試合会場はあります。大会で使用するコート以外にもたくさんのパブリックコートがあって午後になると大勢の学生やファミリーがスポーツを楽しんでおり、まさに市民の憩いの場所になっています。

今日はPM8:30からの試合だったので、会社が終わってからクラスメート達とマンハッタンで軽く飲んで行きました。地元ロディックの試合ということもあり、駅は観客でいっぱい。カクテルライトで輝いたスタジアムは遠めで見てもとってもきれいでした。マナーにうるさいテニスなのでもっと雰囲気は落ち着いたものかと思っていましたが、アメリカの大会だからなのか、商業的に盛り上げられたイベントということでは野球と変わりありませんでした。着いたときにはエキシビジョンマッチが行われていてマイケル・チャンが試合をしていました。なつかしさいっぱいでクラスメートに話かけたら、そんな人は知らない、とそっけない返事。アメリカ人がマイケル・チャン知らないのか~と軽くショックを受け、ジェネレーションギャップを感じました。

会場内は思ったよりも狭く、小さなコートを見下ろすように急角度でスタンドが取り囲む感じ。きっとプレイヤーにとっては圧迫感が相当あると思います。こんな中で3時間に及ぶ試合をたった一人で、時にはアウェイの厳しい雰囲気の中で戦い抜く選手の精神力は尋常じゃない。実際、ほぼ全員が地元ロディックを応援する中、一人冷静な試合運びを続けるジョコヴィッチのタフさと、そして終わった後にヒーローインタビューでちくりといやみを言ってのける大胆さには感心しました(ブーイングの嵐でしたが)。試合は実力上位のジョコヴィッチが勝ったのですが、ロディックも声援の後押しを受け食い下がっていてなかなかいい試合でした。最後は第4セットにタイブレークの末ジョコヴィッチが押し切り3-1。試合が終わったのは11時半でした。

最近テニスから離れて久しいですが、なんだかまたやりたくなりました。クラスにテニスの講師をやっていた奴がいるので、ラケット買ってやろうかな。

2008年9月 4日 (木)

Cash is King!

人物ファイル①:Dr.クッシェル

昨日からアカウント(会計)の授業が始まりました(正確にはAdvanced Accountingで基礎編に続いて2回目)が、そこの名物講師を紹介します。

本業は大学の教授ですが、20年以上当社の研修講師を続けていて社内でも有名な人物。なにが有名かというとその実績も去ることながら、キャラクターが強烈!とにかくエネルギッシュで、そのテンションを生徒にも強要してくることが少々難点。見た目はややメタボ系の白人で顔のつくり自体はわりとハンサムだが、過剰なボディランゲージと講義のリズムはまるでビリー・ブランクス!『OK-!エブリワン!!さあ、ここに入れる数字はなんだ!!』『そうだ!最高だ!○○だから○○だ!OK!わかったか?ライ(right)?、ライ??』と生徒を駆り立てていく様はまさにビリーズブートキャンプ。一日入隊しようものならすっかり疲労困憊、たいてい夕刻には頭痛に襲われます。しかも大量のホームワークを出すため、夜遅くまで居残り勉強の毎日。今はようやく帰ってきて現実逃避のためにパソコンと向き合っています。

この人物、会計の世界においても有名でクッシェル法なるものを編み出しては、世に広めようとしているようです(もっとも私は聞いたことはありませんが)。このドクターの信条はキャッシュ(現金)=KING、つまり会社の財務体質をアナライズする上でキャッシュに着目することが最上、といっているわけです。このこと自体はしごくまっとうな考えだと思いますが、こまったことに自らをキャッシュ(=クッシェル)と公言してはばかりません。つまり Cash(現金)=King=Cash(クッシェル)というわけです。こないだも昼食の席で、「プレスリーがロックのキングであるように、私も会計のキングだ!」といっていました。どこまで本気かわかりませんが。ただ、ある種のロマンチシズムと会計世界の合理的性向を持ち合わせた不思議なタレント性は意外なところでも発揮されており、作家としての顔も持ちあわせています。推理小説を数冊出版しており、今でも執筆活動をしているとのこと。毎日、通勤電車内で小説を書いていて、最近新しいのが完成したばかりだとうれしそうに話してくれました。

あと2週間、果たして無事兵役を終えられるのか、また推理小説のように難解な試験をクリアできるのか不安でいっぱいですが、がんばってみます。では。

2008年9月 1日 (月)

夏の終わり

9/1(月) 14:00 ボストンからニューヨークへの車中にて
本日はレイバーデイで休日。アメリカでは8月末の三連休を夏の終わりと位置づけ、ファミリーで最後のホリデーを楽しむようです。明日からはBack to Schoolということで新学期が始まります。今日は昨日の疲れもあって、10:30起床。ブランチをとるためエセックスという古い港町まで行きました。1916年にできたという「WOODMAN’S」というレストランはまるでファーストフード店のよう。百年の歴史があるファーストフード?というとなんだか奇妙ですが、親子3代位?ずっと同じ味でシーフードフライを出し続けているようです。ここのロケーションがすばらしく、店の目の前に広がる広大な湿地を眺めながらの食事は掛け値なしですばらしい。秋の始まりを告げる爽やかな風と夏の名残を感じさせる強い日差しの中で食べるクラムフライの味は忘れられないものになると思います。

過酷なテストが終わって突入した3連休。思い切り楽しんで、今は心地よい疲れを感じながら文章を打っています。最高の週末でした。明日からはBack to school、科目もAdvanced Accounting に変わります。心機一転がんばります!

2008年8月31日 (日)

24(トゥウェンティフォー)

8/31(日)3:00起床
満天の星空のもとボストン出発。今日は従兄弟家族とともに車で約1,500キロ?の旅に出ます。第一目的地はナイアガラフォールズ。べたですがやっぱり死ぬまでに一度は見ておきたいなと。延々とハイウェイを移動。ゆけどもゆけども同じような景色の連続。草原、森林、畑。草原、森林、畑。寒冷地の森林ということもあり、ちょうど北海道を走っているような感覚です。アメリカの北東部は森林が多く、そういえば昔見た「ラスト・オブ・モヒカン」の舞台はこの辺りだったな~っと。モヒカン族は滅びてしまったけど、違うモヒガン族は生き残っていまではカジノのオーナーやってるよ、とか自分の英語力に?がつくのでどこまでほんとかわかりませんがそんな話をしながら9時間!正午過ぎにカナダとの国境沿いに到着。
三連休ということもあり1時間ほどの渋滞にあいましたが無事カナダに入国!初カナダ。一応死ぬまでに全部の国に行くことが目標なので、一歩目標に近づきました。瀑布の周辺は常に水しぶきが雲のように立ち上っていて遠くからでも位置が確認できます。その威容はどれだけ映像を通して親しんでいてもやはり圧巻。轟音とともに感じる迫力はすさまじいものでした。観光船に乗って近くまで行くとその風圧、水しぶきは巨大な台風のよう。最初これを目にした人類はさぞや度肝を抜かれたことでしょう。都合2時間半の滞在で次の目的地へ向けてトンボがえり。帰りの国境では多少手間取りました。最近けっこうひげ面なのもあって?か色々聞かれましたが、有り金は20ドルだ!というと苦笑して通してくれました。

次なる目的地はクーパーズタウン。ナイアガラからは5時間の距離です。野球が生まれたとされている場所で、野球人としては一生に一度は訪れたいと思っていたいわばメッカのような場所です。ハイウェイを降りてからの40分はほとんど民家もなく本当にこんな山奥に野球の聖地があるのかと不安になりましたが、無事に到着。本当に小さな町で、というより村のようなところ。目抜き通り(といっても百メートルくらいですが)には野球関連の店が軒を連ね、それがまたマニアック。ベースボールカード専門店や、バット専門店、ワックス博物館・・・。それだけで1日楽しめそうなくらいでした。ただ到着したのが夕暮れ時だったのでゆっくりみて回る時間はありませんでしたが。それでも、野球が生まれたグラウンドと野球殿堂にいくことはできました。

最初の野球場は『DOUBLEDAY FIELD』といって、こじんまりとしていますが客席も一応整備されていて、今でも年に一度メジャーリーグの試合が奉納(とはいわないか?)されています。ちょうど明日は「カブス対パドレス」が開かれる予定でいろいろ準備していました。到着したのは夕暮れ時だったのですが、スプリンクラーの水がきらきらと反射してとても幻想的でした。すべてはここから始まったんだな、と思うと感慨深いものがありました。それからダッシュで今度は殿堂に。ここも時間がなく急ぎ足で見ざるを得なかったのですが、それでも興奮の連続。100年前の日米野球の記録に始まり、野茂の2つのノーヒットノーラン、イチローのオールスターランニングホームラン球等、日本との関係も長く、深いものになりつつあるんだなと感じました。最後本当に時間がないときにHall of Fame(まさに殿堂)にたどり着いたときには、そのレリーフの多さに圧倒され、やはり時間が足りなさ過ぎることに絶望感を覚えました。それでもなおみやげ物屋で買いあさり、最後はしっかり裏口から退場、時間内で120%堪能してきました!

帰りは明かりひとつない山道を延々移動。再三スカンクの異臭に襲われたり、ガソリンが底をつきかけていたのでひやひやしたりでしたが、無事帰還。ボストンの家に戻ってきたのは午前3時でした。3食全て車中で済ませましたし、ほぼ一日車で移動していたことになります。忙しいなか僕のわがままに付き合ってくれて、ありえない強行軍を遂行してくれた従兄弟ファミリーにはどれだけ感謝の言葉を並べても足りません。ありがとおう!!

2008年8月30日 (土)

歴史の街

8/30(土)

12:00ボストンへきました。今朝八時のバスに乗って。

夕方から友人の家へ行くまでの4時間、市内をぷらぷらしました。ニューヨークにないものといえばシーフード。UNION OYSTER HOUSEという割と有名なところでランチをとりました。店内はひどく混み合っていて名前を順番で呼ばれるのですが、これがまた無愛想。聞き逃したらスルーされるというし必至で聞いていました。ただ、名前を呼ばれて2階へ行くとそこは別世界。1826年という全米でも有数の歴史を持つレストランだけに趣があってとても素敵。まずはシャブリと生牡蠣を堪能しながら、200年前の街の様子やその後の変遷について思いをはせていました。それから、クラムチャウダー、ロブスターを食し、大満足!クラムチャウダーなどはアメリカ人がつくったとは思えないくらい、深い味わいで驚きました。ただ、アメリカ人の従兄弟にきいたところ、ここの店のクラムチャウダーは薄くてあまり好みではないとのこと。店によって色々味も違うようなので、チャレンジしてみたいと思います。

ボストンの街並みは、自分たちがアメリカを創ったと自認しているだけあってとても趣があって歴史を感じさせました。確かにアメリカ合衆国そのものの歴史は浅いですが、数百年に及ぶ発展と栄光の歴史は他に類を見ない、壮大な人類の実験場でありその産物です。したがって、自分達のキャリアを誇りにしているし、過去の遺産を大切に扱っているため、そのストックは膨大なものです。街を散策し、イメージを膨らませれば容易に100年、200年前の情景を思い浮かべることができます。そういった面ではうらやましいというかすばらしいことだなと感じました。日本の場合、文明開化後の急激な西洋化や大戦による消失、高度経済発展時の短期的視野にたった開発から多くの遺産が失われてしまいまし。それはとても悲しいことであり、恥ずべきことでもあると思います。

2008年8月29日 (金)

感謝感激雨霰

8/29(金)

Money & Banking 講座が終わりました。

試験&プレゼン&バンキングゲームが終了しました。いや~疲れました。これだけいろいろ同時に無理したのは、あまり思い浮かばない位です。今日は家に帰ってきて、ソファーに座って、なんか久しぶりにソファーに座ったな、としみじみ実感しました。しあわせです。

今日のプレゼンは、60点狙いで60点とれたかな、という感じです。そういう意味では満足度は高いです。そして、終わったあとにみんな、わざわざやってきて口々にほめてくれるのはやっぱりうれしいです。日本の場合って、特別よくなければ、基本ほめてくれないですよね。みんなのことばを聞いて、苦労したことやチームメイトに怒りを感じていたこととか全部吹っ飛んでしまって、すっかりいい思い出になってしまいました。やっぱり僕はほめられて伸びるタイプの人間みたいです。

テストは・・・壊滅しなかった(と思う)のでまあいいやという感じです。

終了後打ち上げをかねてみっちさん、ともさんとともにディナー&ブルーノート(JAZZ BAR)に行ってきました。行く途中で60ドルを拾いました。今週不運だったお返しを神さまがくれたのかなと思い、いろいろ助けてくれた二人に夕食をご馳走しました。ジャズバーでは疲れがたまっていたせいもあって、三人とも気持ちよ~く寝てしまいました。ジャズバーで眠ってしまうまで手伝ってくれたみなさんあっての、自分ありです!感謝、感謝です!

2008年8月27日 (水)

真夜中の悲劇

 今週金曜はテスト&プレゼンのダブルヘッダーがあります。

ここんとこ毎日、夜会社に残って資料作りに励んでいるのですが、事件は8/27(月曜日)23時におきました。なんと、会社のパソコンがすべて強制終了されてしまい、17:00~6時間かけて作っていたものが、跡形もなくこの世から消滅しました・・・。PCルームの仮の端末だったので保存を後回しにしていたのが間違いでした。Xデーから逆算して、どうしても今日中にまとめておかなければならない資料。5分ほどフリーズ(自分の頭)した後、作った資料の記憶が消去(頭から)されてしまう前に必死で紙に書き写しましたが、復元率は80%程度。しかも、いろいろ調べた英語の言い回しはすべてふっとんでしまい、本当に泣きそうでした。

一緒に残っていたミッチさん(日本人の先輩)に慰められ、吉野家の牛丼に連れて行ってもらい、こころを落ちつかせて帰ってきました。凹んだ心に、故郷の味はじ~んとしみこみました。ああ、ついてないな~。これから、打ち込み作業です。

2008年8月24日 (日)

中華(チャイナ)

8/24(日)

朝、体が重くて動かない。体中が肩こりになっている状態で、頭のむくみと手足の痛みから何もする気が起きない。今日は勉強しなくては、と思うのですが・・・。

体と心が葛藤を続けているうちにはや夕刻に。らちがあかないのでチャイナタウンまでタクシーで移動してマッサージを受けてきました。60分40ドル。まあまあ気持ちよかったです。街を歩いているとほんとここはNYとは思えない。見たこともない果物が売っているし、行き交うことばは中国語。ふと、路地を曲がると今度はリトル・イタリー。ゴッドファーザーをはじめ数々の物語で語られてきたイタリアマフィアですが、最近はすっかり中華系に押されてどんどん中華街化しているみたいです。中国人はどこにいってもほんとタフです!

そういえば北京オリンピックも終わりましたね。こっちでは中国VS米国対決ばっかり見ていた気がします。普通、金メダル順で国別の成績を表示しますよね?それが、アメリカでは総メダル数で表示しているのでアメリカが一位(110個)で中国が二位(100個)になっているんです。見栄っ張りというか、都合がいいというか、でもそれぐらいの自己主張大切だと思います。

オリンピックねたでもうひとつ。野球は非常に残念な結果に終わってしまいましたが、ちょうど仕事中に米国VS日本がやっていたのでみんなで見ていたのですが、アメリカ人にいわれたひとこと。『日本のチームは日本のマイナーリーグだけでチーム組んでるんだろ?』。違います!『日本のプロ野球選手だけでチームを組んでるんです!』といってやりましたが、日本のプロ野球が属国にみなされていることが悲しかったです。WBCでは雪辱をはらしてほしいです。

誕生会。

8/23(土)

ただいま午前3時半です。

ひょんなことからクラスメートのテラの友人の誕生日会に行ってきました。午前零時ころから参加したため、こんな時間になってしまいました。ユニオンスクエア(NY大学があって学生街の雰囲気)近くのクラブの屋上を貸しきって行われたのですが、不思議なことに日付が変わってどんどん人が増えていました。しかも、友人の友人の友人の・・・という感じで集まってきているので、誰も主役の顔すら知らずに祝福ムードもどこへやら。アメリカってほんといいかげんというか面白いですね。見知らぬコスタリカ人と話たり、ドバイの人と話したり、しかもお酒の席なので適当に盛り上がってれば楽しく過ごせるのがとても不思議です。帰りは普通に地下鉄で帰ってきましたが、24時間電車が動いているっていうのはとてもいいですね!とくに危険も感じませんでしたし。

明日は勉強の一日です。おとなしくしてます。

2008年8月23日 (土)

三重苦

楽しみばかりは続きません。

従前の記事にも書いたとおり、今週は弟が来ていることもあり遊びほうけてしまいました。

肝心の勉学の方はいっぱいいっぱい!①来週金曜日のMoney&Banking試験、②Mortgate Bankingのチームプレゼンの準備、③Banking Game 準備、がまったくできておらず、かなりやばいことに。普段仲良くしているクラスメートの外国人も、チームプレイとなって利害関係者となると話は別。容赦ない自己主張とキラーパス(話が煮詰まったところで突然ふられても困ります!)に困惑すると同時に、自分の考えを100%伝えきれない(80%ではしっかりした仕事はできませんね。)未熟な言語能力に歯がゆい思いをしています。まあ、自分がまいた種ですから、土日はリカバリーの時間にしようかな。その前に、今日は久しぶりに思い切り眠ろう。。。おやすみなさい。

2008年8月19日 (火)

潜入FRB

8/19(火)

本日はFRB(連邦準備銀行)に見学に行ってきました。日本でいうと日銀ですね。我々金融マンにとっては、FRBが開くFOMC(連邦公開市場委員会)は世界の行方を占う天気予報のようなもの。これによって決められる金利政策や委員のコメントによって、世界中の人々が右往左往するわけです。そんな神様(バーナンキ?グリーンスパン?)のお告げが降りてくる世界経済の総本山に御参りにいけるという滅多にない機会に恵まれたのでとってもラッキーでした。

建物自体はWall Streetから程近い金融街に位置しており、割とこじんまりしている印象。日本の銀行や保険会社を思わせるような(見た目大差ないということです)ヨーロッパ調のシンプルでがっしりしている建物です。従前からパスポート申請があるなどやはりセキュリティには気を使っており、建物内は写真撮影禁止でした。ここの金庫には世界の金塊の2%(だったかな?)が保管されており、鉄格子越しに見る金塊の山はなんだか映画や漫画の世界のようでした。ここにたどり着くまでの回転扉などさすがにこっているな~と思いましたが、こんなとこ市民に見学させていいんですかね?テロ犯が見学者を装って侵入したらとられるんじゃないか?と勝手に心配したりしました。

ご推察のとおり、見学自体はほんとただの社会科見学みたいなもので、特段なにを学んだというわけではないのですが、世界経済がここで動いているんだなと想像するとやっぱりわくわくしたりしました。

ベケット炎上、試験はso-so

8/18(月)

嵐のような3日が終わりました。

土曜深夜にボストンへ。日曜昼はフェンウェイパークに、夜はニューヨークへ。そこから試験勉強を始めて、本日試験。午後の授業は英語が催眠術のようにこたえました。

夢のフェンウェイパークは文句なしで美しかったです。天候に恵まれたこともあって、空の青さと、球場の緑、そして人々の赤いシャツが織りなす光景はとっても印象的でした。先発ピッチャーはなんとベケット!金曜日に雨天順延になったことが幸いして20勝投手が拝める幸運に恵まれました。相手は格下ブルージェイズということもあって、勝利は堅いと思われたのですが野球とは不思議なものです。投じる球がことごとくはじき返され大炎上!2回で早々と姿を消してしまいました。いったん傾いた流れは戻ることはなく出てくる投手がことごとく失点を重ね最終的には4-16の大敗となりました。ただ、こんなに天気のいい日にグリーンモンスターを眺めながら野球を見れる、それだけでもとっても幸せな時間でした。チケットをとってくれた従兄弟には感謝です!

さて、そこから一転6時のバスに乗り込み11時にNYの自宅に到着。10時間後には試験が始まります。勉強にとりかかるのですが、やっぱり眠い。まあとりあえずやれることだけはやりました。手ごたえは・・・まあso-soってことにしておきます。

2008年8月17日 (日)

本日晴朗なれども波高し

2008年8月16日(土) 7月よりNYでの生活が始まりはや一ヶ月。現況報告もかねて思うところを綴っていこうと思います。

本日は昨日とうって変わっての晴天。昨日はNY・ウェストチェスターでハリケーンが発生する等荒れ模様の天気でした。昨日、弟が東京から来ることになっており、JFK空港まで迎えにいったのですが、着陸できずボストンへ向かったことが判明。私は先にマンハッタンへ戻って待機。飛行機は最終的には深夜にNYへもどってきたのですが、我がアパートへ到着したのは午前3時。今日は寝不足です・・・。

今日は、弟はヤンキースタジアムへ!私は自宅で試験勉強。幸い天気がよく弟にとってはよかったです。本日夜、従兄弟の住むボストンへ移動予定、明日は夢のフェンエイパークへ行く予定です。ただし、月曜日には試験が待っていて、試合後はすぐにNYへUターン。本当は遊んでいる場合ではないのですが・・・。ということで今週末は楽しいこと、苦しいことイベント盛りだくさんです。夜までの間、勉学に励みます!

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